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霧の中の風景




2009年9月7日 更新



あらすじ

ふたりの幼い子供、アレクサンドロスとヴーラはある夜、家を捨てて、汽車でドイツにいる父を探しに出発する。
しかし姉弟は父を知らず、また見た事もなく、母から父はドイツにいると聞かされただけであった……。




制作国 :ギリシャ・フランス・イタリア
日本公開日 :1990年3月17日
上映時間 :127分
配給 :フランス映画社
監督 :テオ・アンゲロプロス
脚本 :テオ・アンゲロプロス トニーノ・グエッタ タナシス・ヴェルニティノス


出演者

タニア・パライオグウ ミカリスゼーナ ストラトス・ジョルジョグロウ








 流れる風が気持ちよかった。やっぱり普段通るバタ臭い商店街みたいな道と違って思いっきりバイクを飛ばせる。
特に千住大橋はアップダウンをMAX60Kmで駆け抜けると振動が直に伝わってきて、冷たい風が容赦なく当たって頬がシビれてくる。
周りの車がぴったりとくっついてきて、全速で走りながら止まっている感覚が居心地がいい。
今度は上野まで行ってみようと向かい風の中で計画を立てる。
四号線をまっすぐ行った先の、千住警察署前の信号を左折すると世界各国の旗が空にはためいている。
東京芸術センターがそびえ立っていて、外壁の小窓の向こうに「霧の中の風景」のポスターが飾られている。
あと10分しかない。さあ、行こう。

テオ・アンゲロプロス監督の作品はこれで3本目。
最初は大阪で一人暮らししていたときに「エレニの旅」。
2本目は東京で同じく東京芸術センターのシネマブルースタジオで観た「旅芸人の記録」。
そして、今日鑑賞した「霧の中の風景」。
このアンゲロプロスは、いかにも映画を志す者なら避けて通れない監督で、全作品が名作と言われている。
逆にこの監督が分からないようじゃあダメだよ、と映画ファンから嘲笑されてしまうタイプの、要するに芸術色歴史色の強い映画がほとんどだ。
だが、そのキチガイじみた長回しと超のつく難解な内容に眠くなる人多数で、映画館でさえそうだからビデオで観ようもんなら催眠効果抜群だ。
しかし、映像自体の素晴らしさはベートーベンの第九を今の若者が聴いても、おお、と思えるように伝わってくる。
世間の風評も相まって、途中ぐっすり寝ていた客も、「どうだった?」と聞かれると「いやあ、やっぱりアンゲロプロスは素晴らしいねえ」と見栄を張って答えてしまう。
おれは大阪時代に「エレニの旅」を観に行ったとき、まだアンゲロプロスなんて知らないから「ややこしい名前だな。ギリシャ映画?上映時間3時間?ホントにおもろいんか?」と随分食ってかかっていた。
後日、知り合いの映画マニアの集まりでおれは映画の点数を1点(10点満点中)と言い切り、内容は好きだが、極度の長回しや、芸術色の強すぎる演出は映画のリアリティに対していかがなものか、と結構な自信を持って非難しまくった。
若いながらもちゃんとした論拠も持ち合わせていたつもりだ。しかし周りは大絶賛。
手放しで褒めちぎり、「キネマ旬報」の評論家は4人が4人とも星4つ(最高の評価)。
おれの自信は揺れに揺れたものだ。

あれから2年、「旅芸人の記録」を鑑賞したときもそうだったが、今回もアンゲロプロス作品というのを念頭において、この監督はじっくり観なくちゃダメだぞ、どんなに長回しがキツくてもしっかりうけとめなければいけない、と自分に言い聞かせる。
特に「旅芸人の記録」は四時間で全45カットというぶったまげた映画だったので自然と気合が入る。
しかし、始まって15分、不思議なことに気付く。

「あれ、普通に面白いじゃん」

それほどエグい長回しもなく、ストーリーも分かり易い(もちろんアンゲロプロスの作品にしては、だ)。
戦争や歴史も背景として描かれている。しかし、ギリシャの歴史の予備知識なくても問題なく観れる作品だ。

生まれた時から父を知らない姉弟。母からドイツにいると聞いて、列車に無賃乗車しドイツに向かう。
本当は姉弟は私生児。父はいないと道中で知るが、彼らの先のない旅は続く。
そこで待ち受ける出会いと別れ。そして国境を越えた二人を待つものとは。

この映画には怖い場面がいっぱいある。
無賃乗車がバレて伯父さんと警官の会話から、「あいつらは私生児だ」と知ってしまう場面。
トラックの運転手に姉が犯され、破瓜の血が手を赤く染める場面。途中で知り合う旅芸人の青年が徴兵され、劇団も戦争に巻き込まれ、泣く泣く衣装を売り払う場面。
旅がにっちもさっちもいかなくなり、姉が身体を売って金を作ろうとする場面。
そして二人の乗ったボートが国境を越える夜の真っ暗闇で響く一発の銃声。
これが11歳の姉と6歳の弟が生きるという現実の風景。じゃあ「霧の中の風景」とはなんだろう?
道中で旅芸人の青年がフィルムの切れ端を拾う
。透かしてみるとそこには真っ白い霧だけが映っている。青年は囁く。
「一本の木が映ってるよ」
生きる、ということはそもそもそれ自体が旅なのかもしれない。
だとするとそこは標なくさまよう霧の中だろう。何が待ち受けているかは分からない。
すごく嫌な思いをするかもしれないし、痛い目にあうかもしれない。だけどその先。
霧の中の風景に希望を描いていない人間はいない。
それがとりあえずは一本の木でいいのだ。
ラストカットの姉弟が真っ白な霧の中で木を見つけて抱きしめてむせび泣く。
二人が死んでいるとしても彼らの「心」が希望に到達したのだと信じたい。
絶望=現実だらけのこの映画で最後の最後におれは確かに希望を見い出した気がしたから。














2009年1月3日 東京芸術センター・シネマブルスタジオにて鑑賞


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