12人の怒れる男




2009年12月28日 更新



あらすじ

ロシアのとある裁判所でひとつの殺人事件が裁かれていた。
被告人はチェチェンの少年。養父であるロシア軍将校を殺害した罪に問われ、終身刑を求刑されていた。
3日間の審理も終わり、残すは12人の陪審員による評決を待つばかりとなる。いくつもの状況証拠から、有罪は明らかと思われ、集められた陪審員たちは直ちに挙手による投票に入る。ところが、11人が有罪に手を挙げる中、ただひとり、陪審員1番の男だけが遠慮気味に反対票を投じる…。


制作国 :ロシア
日本公開日 :2008年8月23日
上映時間 :159分
配給 :アニー・プラネット
監督 :ニキータ・ミハルコフ
脚本 :ニキータ・ミハルコフ ウラジーミル・モイセエンコ アレクサンドル・ノヴォトツキー

出演者

セルゲイ・マコヴェツキー ニキータ・ミハルコフ セルゲイ・ガルマッシュ





 ソ連時代からロシアまでの巨匠監督というと、アンドレイ・タルコフスキー、セルゲイ・パラジャーノフ、それから二キータ・ミハルコフ。
そのミハルコフが新作を撮ったという。それもあの法廷劇の古典「十二人の怒れる男」のリメイクだ。
ミハルコフといえば自国の歴史を背景にした映画が多く、「ヴァーリャ!」「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」等、どれもインテリジェンスな印象を残す。
ロジックで映画を撮っているようなところがあり、その点ではタルコフスキーやアンゲロプロスとは描く要素が似ていても、描き方は対極的だ。
タルコフスキーが言葉や編集を用いなくてもそこに映画的空間があるのとは違い、上手く説明しながら物語を作ることに命をかけているので、画面が妙に優等生っぽい。
映画を観るというより歴史小説を読んでいる気分。
ミハルコフの映画を観た後に「勉強した」という感覚があるのもそのためだろう。
そんな男がただアメリカ社会の無関心さと命の尊厳を露にした名脚本をそのまま受け入れるはずもない。
これは単純にロシア製の映画ではなく、12人のロシア人から語られる今のロシアの全人口が関わるお話だ。

 日本でも裁判員制度が始まった。新インフルエンザのガイドラインとして「感染列島」が作られるように、
これに準ずる邦画も作られるのは間違いない。
それは人情劇ということになるのだろうが、このロシア映画と同じにしてもらっては困る。
日本の審議では綺麗な専用の部屋が用意され、冬は暖房、夏は冷房がしっかり効いていることだろう。
ここで戦後の日本をイメージして欲しい。希望こそあれ決して裕福でなかったその時代。
アメリカから何でもありがたく頂いて発展してきたこの島国こそ、現代ロシアそのものではないか。
だからこれは甘ったるい人情劇ではない。裁判を通してあぶりだされるのは共産主義から資本主義に移行し乗り移れた人、取り残された人、いまだ強く根付くユダヤ差別、腹の底に抱える偏見、ソ連時代から変化を遂げていない見せかけの歴史。
つまり、原作の倫理哲学に加えて他の国には理解しづらいロシアの歴史の影を観ることとなる。
リメイクと銘打って実は全く異なる映画になっている。それゆえに重たい。重たすぎる。
ミハルコフの体育館の小道具を使ったユニークな演出でさえ霞むほどの重厚な民族性。声高な主張と虚しい響き。

 これだけの要素を詰め込むのに「十二人の怒れる男」という器はいささか小さい。
原作は一時間半というコンパクトな上映時間に加えて、アメリカヒューマニズムの衰退というテーマに絞った。
番号で呼び合っていた他人同士がお互いを理解して、外に出たとき初めて名前を言うという軽妙で感動的なラストまで的を絞ったからこそ、この映画は名作になった。
2時間20分で現ロシアの主張だらけとなる12人の論議にヒューマニズムの姿はなく、結局それは監督自身の代弁者に仕立て上げたからに他ならない。
ソ連時代から続く閉塞感を伝えるには、こういうやり方しかにのかもしれないが、原作の歯切れのいいテンポは失われてしまった。
もはやこの映画はまるっきりの新作として観るしかない。ミハルコフが同名のリメイクと謳ったのは集客を考えてとしか思えない。
そのくらいリメイクである必然性はない。オリジナル脚本で同じテーマを扱ったほうが原作の先入観がない分、多くの人に受け入れられたのではないか。
やっぱり原作と比べてしまうのだが、法廷ものにおいて会話は命だ。このキャッチボールが自然に行われるからこそ、本当に描きたいことが観客に判ってくる。
元の方はキャラクターが生きていて、言葉のやりとりを楽しんでいる間に本題に入っている。
それを観客に意識させないのが素晴らしい。ミハルコフ版はどうも言葉が尖っていて、変なタイミングで誰かが怒り出したりする。
2時間30分に収めるためかもしれないが、観ていて生理的に気持ち悪いのだ。やはりオリジナルでやるべきだった。













2009年1月30日 新文芸坐にて鑑賞


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