ベンジャミン・バトン 数奇な人生






2010年2月22日



あらすじ

80代の男性として誕生し、そこから徐々に若返っていく運命のもとに生まれた男ベンジャミン・バトン(ブラッド・ピット)。
時間の流れを止められず、誰とも違う数奇な人生を歩まなくてはならない彼は、愛する人との出会いと別れを経験し、人生の喜びや死の悲しみを知りながら、時間を刻んでいくが……。


制作国 :アメリカ
日本公開日 :2009年2月7日
上映時間 :167分
配給 :ワーナー・ブラザーズ
監督 :デヴィット・フィンチャー
脚本 :エリック・ロス


出演

ブラッド・ピット  ケイト・ブランシェット  ティルダ・スウィントン








 生まれた時からどんどん若返っていく奇妙な男の運命を描いたフィッツジェラルドの原作。
それをデヴィット・フィンチャーがどう料理したか、というところに尽きる今作だが、映画を普段から観ていない観客でも二時間五十分という長尺をとんとんと見せていく余裕はさすがは巨匠といったところ。
さらに監督が原作にかなりの愛着をもっていることが画面から伝わってくる。きっと子供の頃に読んでから大人になっても何度も何度も読み返した大好きなお話なのだろう。
 ただ、その愛着は映像化を明確に意図していたというより、一種の憧れに近かったかもしれない。それゆえか、おれにはどうも小説をそのまま映像化してしまった感が否めない。
とはいえ、おれは原作未読なので偉そうなことはいえないが、映像そのものに捻りが感じられないのである。
話はつながっていて理解できるが、映画特有の盛り上がりのレールに乗らないまま終わってしまった印象だ。
原作を書いた方も巨匠ゆえ気を遣ったのかもしれないが、映画化する、と決めたからには大幅な省略や脚色を加えるべきだとおれは思う。
静かな物語に仕立ててはいるが、それが芸術まで昇華していないもやもやが残る。

 もちろん、脚色はあるにはある。病院の親子のいる時代が21世紀なのは原作にはなかったはずだし、ヒロインとベンジャミンの関係をメインにするためボタン屋の話も省略されたはずだ。
しかし、それだけではこう胸にグッと迫ってくるものが見つけられずもったいないといえばもったいない。

 しかし、考えてみればベンジャミンは多くの人の死を見て生きなければならない悲劇のヒーロー(?)として描かれていたが、生きる年数そのものは一般の人と変わらないのだから、生涯で見てきた人の死の数は我々とそう変わらないはずである。
彼の悲壮は若返っていくという異常なシチュエーションにおける死生観の感受性の問題であり、別段彼がとんでもなく不幸な人生を歩んだというものではない(その奇病のような状態がすでに不幸という人もあろうが、そのために彼だけが発見できたこともあったのだから)。
その辺りを分かって他の観客は観ていたのだろうかと疑問が残った。普通のことが彼にどう感じられるか、が全ての映画だったはずである。
彼が若くして(外見は老いているが)童貞を卒業したとき、何歳のときのことなのだろうと頭の中で逆算した下世話な者はおれ一人ではないだろう。

 時代描写について書いて締めることにする。19世紀初頭のアメリカは「ギャング・オブ・ニューヨーク」とポランスキー版「オリバー・ツイスト」を足して2で割ったような印象を受ける。
なぜこうもこの時代を描くと雰囲気が似てくるのかと考えるに、当時の街のライトがほとんど暖色系のタングステン光だったからだと気付いた。まだ電球そのものに光の赤みを遮断する素材が入ってないのだ。
そのせいで昔の街の描写は明るく、時代が変わるにつれて光が寒色系の冷たいものに変わっていく。病院の死のイメージはそんなところからも描かれていたというわけである。
フィルムの感度そのものが生=暖から始まり死=寒で終わるのだ。これはこの映画を象徴しているようで非常に面白い。














2009年2月28日 TOHOシネマ西新井にて鑑賞


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