チェンジリング






2010年3月1日 更新



あらすじ

幼い息子のウォルターが何週間も行方不明となり、絶望の日々を送る母親のクリ スティン(アンジェリーナ・ジョリー)。
5ヵ月後、警察からウォルターが見つ かったと連絡が入る。
ところが息子だと連れてこられた少年は別人だった。
にもかかわらず、少年は自分がウォルターであると主張し、警察や世間もクリスティ ンが混乱しているだけだ、とまともに取り合ってくれない。
本当のウォルターはどこにいるのか? 味方のいない中、一人の母親の孤独な戦いが始まった―――

制作国 :アメリカ
日本公開日 :2009年2月20日
配給 :東宝東和
監督 :クリント・イーストウッド
脚本 :J・マイケル・ストランジスキー


出演

アンジェリーナ・ジョリー ジョン・マルコヴィッチ ジェフリー・ドノヴァン







 イーストウッドほど毎回趣向の異なる映画を撮る監督も珍しい。
そのジャンルは 多岐にわたり、西部劇、社会派ドラマ、サスペンス、アクション、ラブストーリ ー・・・昔ではあるがSFも撮っていた。
まるでトリュフォーのようなハリウッ ドのノンジャンルの巨匠が手がけた新作は1928年に実際に起こった事件を題 材にしたミステリー。

 事実は小説より奇なり――というのはまさしくこのことだろう。
そしてこの事件 が実際に起こってしまったという背景を淡々と描くイーストウッドの手腕は今回 も素晴らしい。
起こりようもない偶然を映画ならではの説得力でもって観客をの めり込ませてゆく。
普通に撮ったら『ミスティックリバー』や『ミリオンダラー ベイビー』のような鬱映画になりそうな題材を、警察内部や劇中の凶悪な存在を 交錯させながら、あくまでも信念を持った母親の視点で描いているのが印象的だった。
 しかし、いくらでもお涙頂戴に出来そうなシーンを監督はあえてサラリと かわしている。
それにより一過性に過ぎない怒涛の感動ではなく、じわりと胸に 深く残る味わいがある(それでも観客(主に女性)は3,4度は嗚咽を漏らして いたが)。

 PG−12指定が物語るように、内容は残酷である。直接的なグロ描写は避けてはいるものの、精神的に重い場面が多く、一日二日では忘れられそうもないカッ トがいくつもある(おれは水攻めのシーンがキツかった)。
だが、これはあくま で映画であり、ベースとなった現実の事件がもっとむごたらしかったであろうことは容易に想像が出来る。
しかし、多少のオブラートに包まれているとしても、 史実の裏側を知ることは重要であり、現在の自分、ひいては家族、大切な人を守 る知識や心構えになるかもしれない。
特に劇中で描かれる警察の巨大さと体制の 怠慢は決して大昔のことではない。むしろ新聞などの不可解な記事を冷静に読み 取れば、警察に過去からの系譜があることは何となく見えてくる。
何も信用でき ない世の中で、誰が味方になるのか。何を心の拠りどころとすれば良いのか。この映画は生きる指針を考えるものでもある。

 劇中でのクリスティンの味方は教会の神父であった。おれは冒頭の神父の演説シ ーンを見て、「ああ、こいつ警察に寝返りそうやな」と予測を立てていたが、それは見事に外れた。
これが実話である以上、この神父は本当の意味で聖人だったのだろうが、たかが二時間ちょっとの映画の中の側面を見ただけでまるっきり信 用するのは、やはりおれは危険だと思う。
それこそ、新聞テレビ等のメディアを すんなり受け入れる大多数の一員だと認めるようなものだからだ。
世間が自分の考えをちゃんと持って行動していたら1928年の事件は起こらなかったかも知 れない。
2ちゃんねるも自由言論の場とはいえ、あれだけ多くの人が集まればちょっとした権力であり、もし何かに反対する具体的なデモを起こすとなればチェ ・ゲバラのような指導者がいない限り、人々は利益と体制にもまれるだろう。
教会という存在も同様である。警察も味方してくれないときに、無益に救済しても らえると信じ込むのは何度も言うが危険である。

 そういう意味で、警察の内部事情を知っていながら良心に従った劇中の刑事は大 したものだと思う。
社会的に抹殺されてもおかしくない状況だったが、事件の発表が前後したためお咎めがなかったのだろう。
あのチョイ役の刑事が主役の『チェンジリング』(タイトルは変わるだろうが)でも面白そうだ。上司の命令と少 年の告白に揺れ動く人間ドラマ。
多少恋愛も絡めたら二時間はイケるな。などと監督主観の食指が動いてしまった。あっ、アンジェリーナ・ジョリーは良かったです。
『トゥームレイダー』(これももう古いか)に出てたのと同じ女優とは思 えない。今後はこういう路線でいくんじゃないだろうか。

 もしかしたら「おれだけ」じゃないのかもしれないけど、この作品の題材ってヒ ッチコックだなって思った。
巻き込まれ方の主人公。監督好みの女優。子供が別人という突飛アイデア(実話ですが)と意外なラスト。
街の感じもアメリカというよりイギリスの片田舎って雰囲気だし。ヒッチコックならどんな風に撮ったかと考えると眠れないくらい面白いな。
  まず冒頭は子供がお外で遊んでるでしょ。お母さんが「ご飯よー」なんて呼ぶの。食卓に二人分のご飯。そこに電話「リリリリリリ」。
お母さんは受話器を取る 。子供の声が聞こえてるから安心してる。久しぶりの友達からの電話で段々会話盛り上がってくる。
受話器を置くともう40分も話してた。「ごめんね」なんて言いながらテーブルに戻るお母さん。子供はいない。
やだ、まだお外で遊んでるのかしら、と思って出てみるけどいない。ボールだけが転がっている。隣の家もその隣にもいない。
お母さん、怖くなって警察に電話する。最初は冷静を装っているんだけど、いなくなった状況を話しているうちに不安になってぼろぼろ涙をこぼしながら喋っている。
薄暗い電灯の下の手をつけてない二人分の冷えたご飯。と、こんなところで終わりにしよう。でも、ヒッチコックならもっとシャープに 撮る気がする。
実話だからイーストウッドも単なるサスペンスホラーにはしなかったのかもしれないけど、題材が面白いから1時間半くらいのサスペンスの方が良かったんじゃないか。だったらオリジナル脚本じゃないと駄目だろうなあ。
実話を扱ったヒッチの『間違えられた男』も失敗作だったわけだし。この辺が実話 を借りて映画を作るところの難しさなんでしょう。














2009年3月18日 TOHOシネマズ西新井にて鑑賞


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