チェ 28歳の革命




2009年10月12日 更新



あらすじ

1955年、貧しい人々を助けようと志す若き医師のエルネスト(チェ)・ゲバラは、放浪中のメキシコでフィデル・カストロと運命的な出会いを果たす。
キューバの革命を画策するカストロに共感を覚えたチェは、わずか82人で海を渡り、キューバ政府軍と戦うというカストロの作戦に同意し、すぐにゲリラ戦の指揮を執るようになる。
チェという愛称で呼ばれ、軍医としてゲリラ戦に参加したチェ・ゲバラは、女性と子供には愛情を持って接するのだった……。



制作国 :アメリカ合衆国 フランス スペイン
上映時間 :132分
日本公開日 :2009年1月10日
配給 :ギャガ・コミニケーションズ
監督 :スティーブン・ソダーバーグ
脚本 :スティーブン・ソダーバーグ ピーター・バックマン


出演者

ベニチオ・デル・トロ フランカ・ポテンテ カタリーナ・サンディノ・モレノ





 伝記映画というジャンルがある。
歴史に大きく関わった人物の、まるで神話のような生涯を描くもので、客は観る前から大方のあらすじを歴史の教科書やテレビで知っている。
専攻している人ならぶ厚い専門書で熟知しているかもしれない。
とにかく映画で描かれることは全て事実であり、それを曲げないことが絶対条件となる。
じゃあ、伝記映画というのは過去に実際にあった事実を淡々と映像に変換したものか、というとそうでもない。
名作として知られる伝記映画『ガンジー』では暴力放棄によってインドを救おうとした男が青年時代に失ったもの、それをきっかけにして革命を起こす動機を丁寧に描くことで教科書では知りえなかった聖人の人間の部分を観ることになる。
『アマデウス』。天才音楽家モーツァルトを描く一方で、音楽の授業ではあまり聞かないサリエリという生涯をかけてモーツァルトを憎んだ凡庸な音楽家の姿が描かれている。
モーツァルトしか知らない我々は彼が天才であったゆえに、周りから疎まれ、結果自身の身を破滅に追い込んだ音楽史の影を観る。
つまり伝記映画の醍醐味と言うのは、歴史が語らないカリスマの人間像に迫る点に尽きると言える。
キューバ革命の指導者を辿る「チェ」もそうだったのか? ところがどっこい、実はちょっと違った伝記映画になっていたのだ。

 独裁を続けていたバティスタ政権に立ち向かう為、ゲリラ闘争に参加していたチェ・ゲバラ(チェは親しみを込めた愛称で実名ではないが、彼は生涯こう呼ばれた)は指導者フィデル・カストロの下につき、キューバ上陸を目指した。
しかし、幾度となく襲撃を受け、82人いた反乱軍のうち、生き残ったのはカストロとゲバラを含む12人だけだった。
少佐になったゲバラはキューバの首都に進軍を進め、「キューバ革命」の実現に乗り出した・・・「キューバ革命」成功後の政治家としてのゲバラと、前線で戦うゲバラの映像が交互に流れ、革命の信念が伝わってくる。
時代のカリスマであり、クーデターなどではなく「革命」を成し遂げた男、チェ・ゲバラ。
ハッキリ言って日本には馴染みのない革命家(教科書でも三行くらいしか書いてなかった気がする)について、一から教えてもらえることを観客は期待してただろう。
予告編が終わり、照明が完全に落ちて、さぁ始まるぞ、というときに、「チェ・ゲバラについて」というテロップと共にVTRで(日本の配給会社が作ったものだろう)彼の半生と、何故ゲバラが反乱軍入りしたのかを説明が始まった。
観客全員に悪寒が走る。「え?それ映画で説明ないの!?」と。
案の定、始まってみるとゲバラはのっけから反乱軍の前線にいる。
監督からすれば「お前らちょっとは勉強してから来い」ということなのだろう。
観に行く前日に調べておいて良かったと思った。当然、アルゼンチンでの出生や、マルクス主義に目覚めるきっかけとなったモーターサイクル南米旅行については全く描かれていない。
大半のお客は二時間以上字幕を必死で追っていたのではないだろうか。
この映画のテーマは「信念」だ。仲間が12人になってからは反乱軍に賛同する地元の人間を兵士に仕立て上げ、減らしたり増えたりを繰り返しながらキューバ進行を目指す。
ここでゲバラは革命の「信念」に従ったルールを提言する。
食料が少なくても村人から無理やり奪ったりしない、そこの娘を強姦しない、驚いたのは攻めてくる敵からも何も盗んではいけないと言ったことだ。
普通戦争時には敵は憎む相手であり、何をしても咎めるなどしない。それらを犯せば掟により死刑だ。
ゲバラは言う。「これはクーデターではない。革命なのだと」おれは何故だかガンジーを思い出した。
非暴力の聖人のように、目的への信念なのだ。革命には利益や暴力も時には必要になる。
だがそのまま欲につっ走ったらバティスタ政権と同じになってしまう。
おれはこれほど純粋な軍隊を観たことがない。
ゲバラが時のカリスマでありながら“チェ”と愛称で民衆に愛され続けた理由が分かった気がする。
淡々と進んでいく物語はドキュメンタリータッチで、歴史を俯瞰で見せられているよう。
誰かの目線で語られることがないので、疲れた観客もいるかもしれない。
監督のスティーブン・ソダーバーグ(おれはいつもクローネンバーグと勘違いする)は「ガンジー」や「アマデウス」のように俗っぽいエンターテイメントにせず、革命の激戦と成功後の政治家時代を交互に見せる手法を取った。
政治家相手のゲバラは知能派で反乱軍のリーダー、ゲバラは信念の元に動く熱血漢に描かれるが、この二人は全く変わっていないことが観客に分かってくる。
そこに気付いたとき、ゲバラの生涯を賭けた戦いにどういう意義があったのか身をもって知ることとなる。
二時間以上かけて監督が伝えたかったことに辿りつくのだ。
そもそもゲバラは組織という存在自体嫌いだったような気がする。
彼は劇中のインタビューでこんなセリフを残している。
「戦いにおいて勝ち負けを左右するのは武器の量でも人の数でも資金力でもなく、無名の兵士の信念だ。それが全体の士気を上げる」ゲバラは個人の力を信じて闘ってきた男だ。
しかし、何かを起こすには団体にならねばならず、リーダーが必要になる。
反乱軍だってそう。彼らの中には食料を奪い、強姦をして革命の掟で殺された仲間もいる。
それは個人の欲から出た行動であり、組織とはそれを律する存在だ。
欲は人間を支配する遺伝子だからどうしようもない。
故に組織は必要となるが、組織を束ねるのもまた権力を持った個人なのだ。
そのパラドックスにゲバラは苦しんでいたと思う。
彼が組織と戦うために彼もまた組織を統率しなければならない。
世界経済が破綻した今、日本に求められるのも、「個」から発信される主張かもしれない。
それが息を揃え、組織になったとき、ゲバラのような指導者がいればこの国も立ち直るかもしれない。
誰かにとって都合のいい「掟」が作られなければの話だが。














2009年1月14日 TOHOシネマズ西新井にて鑑賞


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