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DEATH NOTE






2009年9月16日 更新



あらすじ


このノートに名前を書かれた人間は死ぬ…。死神 リュークが人間界に落とした一冊のノート「DEATH NOTE」。
ここから、二人の選ばれし者「夜神月」と「L」の壮絶な戦いが始まる!!
かつてないスリルとサスペンス!!




原作 :大場つぐみ
漫画 :小畑 武
発行 :集英社
連載 :週刊少年ジャンプ 2004年1号〜2006年24号連載
単行本 :全12巻

















■ ハイジン

 それでは、始めて行きます。
今回は、漫画「デスノート」というわけなんですが、今回は僕も含めて、二人ともリアルタイムで読んでいたであろう作品なんですけど、まずは第一に、この作品の結末を切り口に話を進めて行きたいんですけど、この作品の結末には、どういった風な印象を持たれましたか?






■ ニクロ

 えーと、最後、夜神月がリュークに名前を書かれるのが、前の週、最終話の前の週でしたね。
で、その後のキラが居なくなった後の社会、ようは犯罪者がまた増え始めて「キラとは一体なんだったのか?」という所を最終話で練っていって、最後に「キラ様」っていう一言で終わった。
あれは、賛否両論があるだろうなとは思いましたね。俺は、かなりオチとしては落ちたなと思いましたね。
あの、いわゆるキラというモノに限らず、人間何か信じるモノが必要だと思うんですよ。
それがたまたま、キラという存在で、かつキラは実際に犯罪者も減らしていって、そこにいわゆる宗教のような考え方を根付かせてたと思うんですね、世界に。
そこで、ラストで「キラ様」という一言で終わるっていうのは、見方によっては、一つのそうゆう世界の肯定にも見えるんだけど、ただ、そうゆうものも含めて、何ていうんだろ、人間の愚かしい部分と、美しい部分だと思うんですね。






■ 電脳BOY

 俺は、リアルタイムじゃなくて漫画買うときはいつも、週刊じゃなくて単行本で一気に買うんですね。
デスノートも最終巻で出て、買って読んだんですけど、まあ、結局ライトは死んだんですけど、そのいつも単行本にはおまけページみたいな、デスノートのルールブックが付いてるんですよ。色々ルール的なモノが書いてあるんですよ。
で、ライトが死んだ回には「死んだ者は生き返らない」っていう文が載ってて、ルールブックの中に。それが凄い印象に残って。
漫画だったら、いつもギリギリで主人公は助かるみたいな策があるのに、最後に「死んだ者は生き返らない」って、凄い救いがないじゃないですか。






■ ニクロ

ちなみに、読みきりのデスノートだったら、デスイレイザーってのがあったんですよ。






■ ハイジン

デスイレイザー?(笑)






■ ニクロ

 デスノートに書いたのをそれで消したら元に戻る(生き返る)んですよ。
ホント、ドラえもんの道具みたいなのがあって。読みきりの時点では、そこまで救いようがない話は、ジャンプでは受け入れられないってのがあったんだけれど、デスノートがあそこまで人気になったのは、全く逆を行ったからであって、それを持続したからあのオチも今のジャンプで描けたのはあったと思うんですよ。
読みきりでアレをやってたら、なんなんだこの作品は、ってなっていたと思うんですよ。








デスノートの世界








■ ハイジン

 今、ドラえもんって単語が出たんですけど、ドラえもん的な子供じみた発想がまず前提にあるんですね、デスノートという存在には。
名前を書いたら殺せる、という発想自体はまず子供なんですよ。
それでいて、死神という存在自体も、漫画的な世界がモチーフにあるんですよ。
ただ、「死んだ者は生き返らない」という現実的な世界が、すぐ横に同居しているんですね。
漫画的な世界と、現実的な世界がすぐ横に並んでいる作品が、デスノートなんですね。
それは小畑武の絵でも凄い作用されてるんですけれど、デスノートという存在自体は極めてフィクション性を波瀾に含んでいる。
それで、この作品を読んでいて一番に俺が思った事は、信仰って言葉をキーワードにしていると思ったんですね。






■ ニクロ

シンコウ?






■ ハイジン

 信仰。信仰心でもいいんですけど。
まず、作品の中で、夜神月はデスノートを手にして、自分の思うユートピアを創ろうと思っていた。
それは、悪人をデスノートで裁く事によって、悪人が死んでいけば、悪さをするヤツは悪さをしたら自分も殺されると思い、キラを恐れて悪さをする人は居なくなる。
そんなユートピアの世界を創ろうとしていた事が、当初持っていた夜神月の思想で、それを理由に月はデスノートを使い始めるわけなんだけれど、ライトは自分を邪魔する者まで裁き始める。
人間の私利欲望みたいなものが、月を滅ぼしていくという事が最初から暗示されてるんですね。
でも、第一部のLとの対決では、Lを月が捌く事で、月は勝利を収めるんですね。
で、実際に月が勝利を収めた部分に関しては、そこには少年漫画としてのカタルシスが存在するんですよ。
「勝った」「計画通り」というあの辺の台詞に関しては、読んでいて、月が勝利した事に対して凄まじいカタルシスを受けて側は感じるんですよ。
月が信じている正義、それが後半どこまで持っていたかは明確にはわからないんですけれども、その信じていた信念、正義というものが後半ニアによって覆される。
Lを継ぐ者のニアに、月がそういったユートピアな世界を創ろうとした事を説いた時に、ニアは正面切って「私にとってはあなたは、単なる人殺しです」って言うんですね。
「デスノートというものは単なる殺人兵器です」って。
それでいてニアは、「正義と言うものは、人それぞれが持つ、自分の価値観であり、誰かが持つものではない、自分が持つものが正義だ」という事を月に説くんですね。
月は悪人を裁いて、悪人が居なくなる世界こそが、ユートピアであるという風に説くけれども、Lを含めたニアは、そうではなく、それぞれが持つ世界こそが正義であると説く。
漫画の結末というものは月の敗北(死)であり、デスノートの世界では、「正義」が勝つのではなく、勝った者が「正義」になると俺は思ったんですね。
 だから、あの世界では、第一部のLとの対決時の月の勝利に、大きなカタルシスを受けて側は覚えたけれども、後半、終盤に関しては、月が負ける事に対して読者が快感を抱くように、読者に植え付けさせるような展開になってるんですね。
特に終盤の月の失速という部分に関しては、こちら、受けて側としても、そうゆう感情を覚えさせるように仕掛けられてると俺は思ったんですね。






■ ニクロ

そうゆう思惑はあったよね、確実に






■ ハイジン

 それでも、まだ、ラスト1コマに至る「キラ様」っていう、それを信じてる者が居るというのは、単純に月は死んだけれどもそういった信仰心というものは残っている。
ニアは正義だった、悪を滅ぼした、というような格好で漫画は終わってしまったけれども、キラを正義であると信じる者は絶え間なく世界には残っていく。
そういった意味で、どちらが正しかったのかっていう事に関しては、どちらとも言い切れない作品だったと思うんですね。






■ ニクロ

 俺が一つ、印象に残っているのが、あの、ライトの父親が倒れる、喫茶店でLとライトが探りを入れてる時に倒れる。
「まさかキラが?!」って。まあ、読書は解ってるんですけど、キラじゃないってのは。
ただ単に疲れで倒れてしまって病院でっていう。
そこで総一郎がライトに話す言葉に、「私は、その力を持つ人間が悪いんじゃなくて、その力そのものを持ってしまったら、人間は変わってしまう」と。
どうゆう風な言葉かは忘れたけど、その力自体が悪なんだと。
それは、ノートの事を指してるんですけど、この世界においては、ハイジンが言ったみたいな、思想うんぬんの正義感ってのはあるんやけど、ノート自体の存在は間違いなく悪なんですね。
それを使う心によって、いかようにもやり方はあるけれど、でも、やっぱりノートが悪っていうのは、最後まで肯定されてたと思うんですよ。
そこは、俺動かへんトコやなっと思って。
確かに、残った信者達の信じる信念も、ニアの信念も、まあ、どっちも答えはないものやけど、やっぱりノートというイレギュラーな存在は、人を変えてしまうだけの魔力を持っていたと思うんですよ。






■ ハイジン

 俺はやっぱり、信仰って言葉が深く頭の中に残っていて、弥海砂が第二のキラとして現れるじゃないですか。
で、まず最初にミサが感じていたキラに対しての信仰心が途中、ライトに対しての個人的な恋愛感情に変わる。それで、ライトに尽くしていく、キラに対して協力を仰いでいくという風に変わるんですけれど、これも、人間社会に置いての一つの信仰であると位置付けられるんですね。
宗教的な話と同じくの意味で。






■ ニクロ

 確かに、その信仰ってのは、俺も感じる所はあって、さっき言った弥海砂っていうのも、エヴァンゲリオンのミサトさんじゃないですけど、やっぱり、ミサっていうのは、そうゆう事やと思うし。
あと、「デスノート」って表紙絵とか、あと扉絵とかで、十字架ってのが凄くカットインされるじゃないですか。ああゆうのは明らかに作品を象徴しているいわゆるキリスト的な、贖罪的なものを扱う作品である事は、やっぱり作者も意識して書いてますしね。








デスノートと世界








■ ハイジン

 凄い印象的だったのが、単行本で読み返してみるともちろん載っていないんですけど、真っ暗闇になる所があるじゃないですか。月が死んだ後の所で。
そこが、連載時には大きな見開きで、ページ全部真っ黒で、「死んだ後にある世界は無だ」みたいな事が書かれているんですね。
俺はこの部分が、さっき言った漫画チックな思想、つまりデスノートというノートの存在と、現実感のあるディティール、その二つの完全に片方の世界を示している言葉だと思ったんですね。
死んだ後にも普通、デスノートのある世界であれば、死神が居る世界なら天国とか地獄があって全く不思議ではない。
まず、死神が居るのに天国、地獄はないんかい、という話だけれど、あそこではしっかりと死んだ後には無しかないと。
更に単行本での生き返らないという。
やっぱり、俺はこの二つを同居させて、ちゃんと成立させている所を凄く面白く読んでいたんですね。






■ ニクロ

 さっき言ってたけどデスノートという発想自体は、かなり子供じみてるというか、幼稚なんですね。
だから、ライトが負けず嫌いという所もそうゆう幼稚なファシズムに変わっていく所に出てるんだと思うんやけど、ただ、ルールに関してはロジックが凄いんですよね。
死神は何故居るのかという所から、理由も根拠としてはあるし、デスノートのルールというのも、ノートに名前を書けば人は死ぬというのは、かなり短絡的だけど、ノートに書くという作業があるだけで、相当サスペンスになってて、あの設定はかなり漫画に生きているんですね。






■ ハイジン

 俺は、デスノートで一番重要だと思うポイントがあって、それは、一度ライトがデスノートを放棄する、それで、放棄した後でLと一緒に行動を共にする。
その後で、デスノートがまたライトの所に戻ってくる。
それが、「計画通り」って言葉に繋がるんだけど、デスノートはLの管理下に置かれてしまう。
けれど、ライトはデスノートに細工をして新ルールを加えているんですね。
レムに書かせていて。それは、「デスノートを13日間書かないとその持ち主は死ぬ」と、「デスノートを燃やすと、そのノートに触れていたものは全員死ぬ」というルールを。
これによって、50日間監禁されていた矢神月はデスノートの所有者じゃない、弥海砂も所有者ではない、更にデスノートを触った為にこれを処分する事は出来ない、と。
これによりライトとミサのキラ容疑はなくなり、更にデスノートを燃やす事は出来ないから、デスノートの所有者がライトから外れる事はない、と、同時に二つを確約するんですね。
やっぱり、この作品はこの部分が一番のミソで、新ルールを加えるという月の行動が、この作品の中での位置づけとして最も重要な部分だと思うんですね。
デスノートを使って神になるという事を目的に物語を進めているけれども、元々のルール自体を変えてしまう。
漫画の中での神になってるんですよ、月は。これは、かなり記号的な話を言っているんですけどね。
どうゆう風に駒を進めていくかって所で、正攻法なやり方ではなく全くの新ルールを開拓して、新たなる道を進んでいく、このやり方は面白いなと思ったんですね。






■ ニクロ

 でも、全般にこの漫画は、実はLが正攻法なんですね、割と。
ライト側の目線で観てるからハメられたって思うかもしれないけど、やってる事はLはまっすぐだと思いますよ。
俺はライトがそれを、のらりくらりとかわして、時々反撃をする漫画だと思ったんですよ。前半というのは。






■ ハイジン

ルール変更という事で相手を欺くという部分が、デスノートの夜神月という人物の重要キーワードだと思うんですよね。






■ ニクロ

「努力・友情・勝利」というかつてのジャンプ的にはどうですか?






■ ハイジン

だから、それとは全く正反対なわけなんですよ。






■ ニクロ

一つのジャンプの終焉をマンガで見せたんじゃないかって思ったんですけどね。






■ ハイジン

正攻法で相手を負かすのではない、デスノートというマンガはそこに集約されると思うんですよ。
新ルールこそが全てだと。






■ ニクロ

まあ、主人公がそもそもハリボテの正義であり、真実は悪なんだ、っていう前提がそもそもジャンプでやるもんとしてはとんでもないですけどね。






■ ハイジン

悪であるという風に断罪はされてはいたけれども、そこが、肯定も否定もしてないと思うんですけどね。
デスノートの存在は否定しているけども。






■ ニクロ

やっぱり、ジャンプって雑誌は、ルールブックみたいなものがあると思うんですよ。ある程度は。
前に凄い早く打ち切りで終わった「サンタ」ってマンガがあったんですよ。






■ 電脳BOY

いつの時代ですか?






■ ニクロ

 結構、前だと思うんですけど、主人公が「世界征服をする」って話なんだけど、ようは本当の悪の世界征服じゃなくて、いい世界を創る為に前提が世界征服なんですよ。
だから、悪のように見せかけてやってる事は本当はいい事、という。
結局、ジャンプってのは、今まで正反対の事をやろうとしてもそこまでが限界だったんですね。
世界征服を企む主人公、でもそれは弱い者イジメをするヤツを全員ねたやしにして、俺が王になるから平和な世界を創る、って事をひた隠した上での、世界征服っていう悪のテーマを掲げていたんですよ。
だから、結局は正義なんですよ、観てる方は。
ただ、「デスノート」ってのはホントにガチで、悪の路線を描いちゃったっていう。






■ 電脳BOY

でも、悪と言っても・・・






■ ニクロ

 なんというか、そのレベルの違いなんですよ。
ホントに、「サンタ」ってマンガは、明らかに正義なんですよ。
正義なんだけど、それをベタベタにして、塗り固めてるんだけど、「デスノート」ってのは結構、ギリギリのラインなんですよね。
ようは、判断は読者に委ねられているけど、基本的にはベースは倫理的には悪い事。お父さん、お母さんが、こんなマンガ子供には読ませたくないような事を、ジャンプはGOサイン出したんですね。
やっぱり、そこはかなりの分岐点じゃないんですか。時代的に。






■ ハイジン

やっぱりライトを絶対悪として描いてる(見せてる)のは、物語の後半以降じゃないですか。






■ ニクロ

 まあ、第一話からそうやけど、ようは、犯罪者がみんな死刑になれば、世の中が平和になるんじゃないかって思想って、結構、子供じみていながら、結構誰もが持っている思想なんですね。
ようは、イスラム教と一緒で、あれは目には目をだから。
あの、万引きでモノを取ったら、万引きって罪やけど、手切られるんですよ、イスラム教って。
ホント、人を殺したらどんな恨みがあれ、どんな酷い事をされたって事があれ、死刑なんですよそいつは。
で、俺、そうゆうのを昔聞いた時に、日本もこうゆうのを導入したら普通に犯罪減るやんって思って。
で、それを本当に体現してくれたのがデスノートだったんですね。
目には目をというか、犯罪者は裁かれるべきだっていう。






■ ハイジン

その思想自体は、まずは肯定出来るじゃないですか。






■ ニクロ

 だから、第一話からはまず、肯定してたんやけど、ただ、それって目線の問題やと思うんですよね。
例えば親が、ジャンプを読んで第一話始まった、子供どんなん読んでるんやろ、デスノート、ふうん、でペラペラめくってったら、なんやこれって。






■ 電脳BOY

俺は逆に読ませたいね。別に。悪影響って感じはしないし。






■ ニクロ

悪影響ではないんやけど、なんていうか、倫理的に。






■ 電脳BOY

でも、微妙なラインではあるやろ。






■ ニクロ

簡単に人を殺せてしまう事に対しての、抵抗というか。
それを、いわゆるカッコイイとして見せてるやんか。
ダークヒーローとして、カッコよく描いてるやんか。






■ ハイジン

 俺が思う事は、倫理観で目には目を、歯には歯をじゃないけど、悪いやつは死んだ方がいいという思想自体は、まず、悪ではないという事を前提として考えられるやんか。
そうすると、夜神月は最初の時点では決して断罪であるという対象ではないわけやんか。
まずそれが最初にあって、それに歯向かう事によってLも捌かれるんだけど、それを絶対悪であると断罪するのがニアの存在なんですね。
それは、間違えであると。正義とは、人それぞれが持つものと説くことがニアの存在。
最後にライトが負けるっという事は、少年漫画的な思想の限界であると、一つの説としてはあると思うんですよ。






■ ニクロ

少年漫画で掲載された弱点で、あるっちゃあるんですよね。あの終焉というのは。






■ 電脳ボーイ

でも、あれで勝ってても面白くはないんだよね。






■ ハイジン

確かに、勝つってのはそれはそれで面白くはないんですよね。






■ 電脳ボーイ

あれで、ハッピーエンドになっても、「あれっ?」っていう。






■ ハイジン

 だから、押し付ける的な事で言えば、最初に言ってた、デスノートというモノ自体を持つ者が悪いのではなく、デスノート自体が悪であると、そこにまとめ込められると思うんですよ。
デスノートは悪だという事に。で、二つの思想に関しては、甲乙つけがたい。
でも、それぞれ信じるモノがあって、キラというモノに対する信仰は変わらないという事が、デスノートの終わりではあると思うんですけど、この信仰というものが、色々な形で出ていて、俺はそこが読んでいて面白いポイントだったんですね。
それぞれが持つべき信念によって、変わるものなので、何が正しいかは言えないというか。そうゆうモノを提示したと思っているんですけどね。








新世界の神と海賊王








■ ニクロ

 ライトとLが大学の受験会場で逢うじゃないですか。
あれたぶん、2巻くらいじゃないですかね? あれ、明らかに早いんですよね。
展開としてもまだまだ、引き出し引き出せるのに、あの持っていきかたは衝撃を受けたね。






■ ハイジン

結構、大きな絵でね。






■ ニクロ

 そうそう。しかもその次の入学式で「私がLです」って。
ホントにあそこはもう、次の週が待てんって気持ちがあそこから始まったね、俺は。
だから、次の週まで待てないと思わせるのは、純少年漫画やったと思うんですよね、「デスノート」は。






■ ハイジン

ライト対Lという対決の構図は、凄い解り易かったですしね。






■ ニクロ

 ネタとしては、第一話から全部提示されるわけじゃないですか。
死神が出て来て、デスノートが出て来て、人が死ぬことが確かめられて、「僕は新世界の神になる」って言って、「人間っておもしれぇ」って言って。
ホントに、「死神」「デスノート」「新世界の神になりたいライト」って結構、出揃ってる割に、翌週から全く読めないんですよ。展開が。






■ ハイジン

 やっぱり、その辺のロジックが少年漫画として凄いんですよ。
いわゆる、扱っているネタ自体はファンタジー色が強いし、更に死神が落としたノートを駆使して「新世界の神になる」と宣言している目線の向き方としては、「海賊王に俺はなる」と言ってるのと同じではあるんですよ。
 ただ、殺人であるという事は、肯定されるべき事なのか、否定されるべき事なのかが。
本来ならワンピースだってヒドイ漫画ではあるはずなんですよ。
海賊王になるなんて、犯罪王になると言ってるようなもんですからね(笑)






■ ニクロ

でも、実際はワンピースを読んでる読者は、ルフィは海賊だとは思ってませんからね(笑)
だから、あれは、少年漫画というものにかなり形を変えてるものなんだけど。






■ ハイジン

「デスノート」も出発点としては、少年漫画の上では、「海賊王に俺はなる」同じ意味での言葉であると思うんですよ。
「僕は新世界の神になる」ってのは。






■ ニクロ

誰もが思ってる事を、あっさり言われちゃった感じはあるですよ。
「悪いヤツがみんな死んだらいい世界になる」っていうのとか。
みんな言えなかった事を、ストンと言って、市民権を得たマンガではあると思うんですよ。








それぞれが持つ信仰








■ ニクロ

 警察の方の話をしたいんですが、いわゆる松田達が居たグループで、俺、凄く印象に残ってるのが、総一郎がキラ捜索本部みたいなのを立てるやんか。
で、その時に「残りたいヤツだけ残ってくれ」って言うんですね。
ようは、殺されるのが嫌なら出て行ってくれ、って。
ホントに残るのが5、6人くらいなんですね。あれはホントに、単なる人間を相手にしてるんだったらいいけど、いざ自分の命が怖くなったら、そいつらが持ってる正義すらも曲げられてしまうじゃないですか。
 だから、ああいう所でも人間の醜さが垣間見られるんだけど、それを醜いと思うか、人として殺されたくないと思って当たり前と思うか、松田達が傘下に加わったのは、勇敢な行動か、それともちょっと人としてバカなのか、っていうのも俺は考える所があったんですけどね。






■ ハイジン

 そこは、やっぱり純粋な死を恐れる人間の弱さって事じゃないですかね。
キラに歯向かう者は、殺されるって事が、FBIが死んだ事で実証されてるわけだから。
このままキラ捜査を進める事は、イコール=死であって、命の保障がないって事ですからね。






■ ニクロ

 だから、そう考えると、残った松田達は人としては異常なんじゃないかっていう、考えも成り立つわけで。
ただ、少年漫画的には彼らが正義の者達としてLの元に集められて、正義の軍団であるL軍団になっていくわけやけど。
あれが、正しかったかどうかはわかんないからね。実際に死んだ人も居たし。
あと、途中で、弥海砂が2回取引きするやん。目の。寿命が結局4分の1になって。
あれは驚きましたね。幾らライトの為とはいえね。80歳まで生きるとしたら20歳っすからね、死ぬの。






■ ハイジン

 だから、あの部分が信仰という言葉と繋がるんですよ。
「デスノート」という世界が信仰心というモノが、大きな枠として存在していて、その信仰心というものが、キラ信者であったり、正義であると信じて動く警察の残った者であったりで。
弥海砂の信仰心は、夜神月への恋愛感情なんですね。
弥海砂の行動が、極端に見えるというのは「デスノート」の根底に信仰心が根付いているからこそで、彼女の思想も作品の一つの象徴なんですね。
そういった、一つの思想で脇を固めているからこそ、「デスノート」には引き付けるものがあるんですよ。
と、上手くまとまった所で、時間なので今日はココまでです。



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