リリイ・シュシュのすべて






2009年10月9日 更新



あらすじ


僕にとって、リリイだけが、リアル。
今まで誰も描けなかった十四歳の世界がここにある。



制作国 :日本
公開日 :2001年10月6日
上映時間 :146分
配給 :ロックウェルアイズ
監督・脚本 :岩井俊二


出演者

市原隼人 忍成修吾 蒼井優 伊藤歩
大沢たかお 稲森いずみ














■ ハイジン

 では、始めていきます。この「リリイ・シュシュのすべて」なんですけど、一応、俺たちとは同世代的な作品の一つとして、位置付けているわけなんですね。
年齢という問題にしてもそうなんですけど、単純に1999年に主人公の蓮見祐一が中学に入学というのが、物語の最初であって、それは単純に俺たちと同じ年代であって純粋に主人公演じる市川隼人も同い年だという事で、そうゆう年齢の事も含めて同世代的な作品だと思ってるんですね。
で、俺はそうゆう意味ではかなり観ていてかなり敏感にこの世代を描いている作品だなと思ったんですね。
 まあ、内容に関して言えばリアルではないわけなんですね。
例えば、いじめ問題とか、レイプとか、援助交際とか、色々とキーワードは出てくるんだけど、その一個一個は全然リアルじゃないんですね。
全然、リアルではないんだけど、この作品の何処が同世代的に敏感に描かれてるかというと、それはバックホーンとしてインターネットというものが、深く作品に関わっているという事が、時代的に反映されていると思ったんですね。
まず、インターネットについてなんですけど、1999年という年は、巨大掲示板の2ちゃんねるが出来た年で、2000年にはIT革命が叫ばれたりとか、インターネットの敷居がだいぶ下がってきて、身近な存在になりつつあって、思春期にインターネットが介入して来た最初の世代の若者を描いた作品だと俺は捉えているんですね。
この作品でのインターネットは一つの逃避先として機能しているんですね。
それは、例えば蓮見祐一に降りかかって来る災難としていじめ問題があるんだけど、そのいじめに対して、蓮見はほとんど感情を出してりしないんですね。
それに対して、強く悩んだりとか、反抗するとか、そうゆう思春期におけるドラマツルギーは一切なくて、ほとんど現実世界では感情を露にせずに、逃避先としてインターネットを利用しているんですね。
それで、現実社会で溜め込んできた感情というものをすべてリリイで消費していく。
リリイ・シュシュってのは負の感情を消費する存在として居るんですね。
「リリイだけが僕のリアル」ってキャッチコピーがあるんですけど、これって現実世界は、夢物語という捉え方をしていて、作品の中でもインターネットの掲示板の書き込みで「この世界はマトリックス(笑)」ってのがあったんですけど、ホントにその言葉の通り現実世界は現実ではなくて、ネットの世界がリアルで、リリイ・シュシュってのは、ネット社会においての共通切符としての役割を持ってるんじゃないかと思うんですね。






■ ニクロ

 俺は、リリイ・シュシュってのは、結構、DMC(デトロイト・メタル・シティ)みたいなもんだと思ってるんですよ。
ようは、コアな所が騒いでエーテルだなんだって言ってるけど、エーテルを持ってる、持ってないって、ホント、「クラウザーさんは本物の悪魔だ」って言ってる事と変わらなくて、はたから見たらやっぱりバカみたいなんだけど、それを、ギャグにしたのがDMCで、リリイ・シュシュってのははたから見たら笑ってしまうような、本物かどうかも確かではないモノにすら頼っていかなければいけない、少年達の拠り所のなさだと思ったんですね。
だから、リリイ・シュシュに関しては、あーゆう疑わしい胡散臭いものが、ちゃんと一つの信仰として成立しているんだと思うんですよ。






■ ハイジン

 一つ、印象的なシーンとして、援助交際をしていた津田って女の子が居るじゃないですか。
その津田を、佐々木っていう学級委員の凄い大人びた男の子が「津田を紹介してくれ」って蓮見に言って、蓮見は津田を佐々木に紹介するんだけど、津田は佐々木をフッたと蓮見に言うんですね。
それで、蓮見は何で断ったんだよ、みたいな事を言って、「あいつなら星野から守ってくれるよ」って言うんだけど、津田は「あんたが守ってよ」って言うんですね。
それに対して蓮見は、イエスもノーも言わないんですね。
何も答えずにただ黙っているんですね。
これってもう、ほとんど、起きている物事に対して何の反応も示さない、そこに存在はしているけど、全く行動を起こそうと、何かしようと思わない現われが、蓮見という人物の、この作品のポジションだと思うんですね。
どうこうしたいという風に考えていない。成長物語としての意味も、この作品にはなくって、いじめとかそうゆう事も作品の中では意味がないというか、単純にリリイの音楽を消費する為のパフォーマンスでしかないと思うんですね。
そういった、辛さと言う名のパフォーマンスがリリイの音楽によって昇華されていくという様を、極めて芸術的に描いてく作品ってのが、俺の評価なんですね。






■ ニクロ

 津田が、蓮見に「守って欲しい」って言ったのは、津田が蓮見の事を好きやったって事なんやけど、あのシーンでは蓮見は久保を好きやったわけで、結局、あれはラストへの伏線だったと思ってるわけなんですよ。
要するに、好きな久保を自分で突き飛ばしたっていう。
それで、津田の方も自殺しちゃって、「守ってよ」と言われて何も答えれなくて、それで久保の方は今後どうなるんだ、っていう状態でラストで、蓮見がピアノを弾いている久野の所に行って、側に立っているってのは、俺が守って行こうという意思表示と、ただ、俺に守れるのだろうか、という不安の象徴だと思うんですね。
俺は、結構、成長物語としてもあのラストは観れると思うんですよ。






■ ハイジン

ああ、そうゆう解釈ですか?






■ ニクロ

これは、ちゃんと、そこが組み立てられているんですよ、この映画は。そこにいくまでが。






■ ハイジン

俺は、そうゆう成長物語としては






■ ニクロ

 物語というよりは、最後だけなんですよ。
それは。どう少年が決断を出したかっていう、「15歳」という最後の章で、ラストのあのカットってのは俺はそうゆう風に受け取る。
たぶん、監督もそうゆう意図だったと思うんですよ、あそこは。






■ 電脳BOY

俺は、どうしようもないな、というか、あれが永遠に続くような。
憂鬱な世界がずっと続くような雰囲気を感じたんですけどね。






■ ハイジン

俺も、それに似た印象ですね。






■ 電脳BOY

希望の光は絶対に見えていないよね。






■ ニクロ

 最後の章、「15歳」でパーマを当てるメットみたいなヤツを蓮見が被るじゃないですか。
あれって、目と耳を遮断するって事なんですよ。目と耳を遮断して、もう俺は社会の人たちに丸め込まれてでも生きると。
自分から主張はしないけど、何かあれば誰かに相談する、と。自分ひとりでは抱えない。
だから、あの後はリリイうんぬんってのは蓮見は関わっていないと俺は思っているんですよ。
で、最後先生に成績がガクッと落ちたわね、っていうくだり、あの辺も先生との繋がりのカットなんですね。
それで、先生に久野さん呼んできて、と言われて立ってる、俺がさっき言ったのはそうゆう事なんですよ。
自分は丸め込まれて、人に頼ってでもでもそうゆう生き方をしなくちゃいけない。
という所で久野だけは、久野だけは津田みたいに死なせたくない、でも本当に俺にそんな事が出来るんだろうか、という不安とちょっとした決意のカットがラストカットなんですよ。








リリイ・シュシュという虚像








■ ハイジン

蓮見と星野って、実は大きな違いはないんじゃないかと思うんですけどね。






■ ニクロ

それは、本当にその通りですよ。






■ ハイジン

 本当に同じ種類の人間であると思っていて、ラストで蓮見が星野を刺すって部分に関して言えば、星野にどんなにイジめられても、蓮見にとってそれはバーチャルって認識になってるんじゃないかと思うんですね。
で、リリイに関してだけは、向かって行ったような。






■ 電脳BOY

ラストに蓮見が刺すのは、リリイに対しての行動って事ね。






 ハイジン

リリイだけは、現実とシンクロしてるんじゃないかと。






■ ニクロ

 でも俺は、「リリイだ」「リリイが居るぞ」って蓮見が叫んでる所は、完全に蓮見にとってリリイが物語当初とは、別物になってると思うんですね。
もう、リリイ、リリイと言ってる頃の蓮見じゃなくて、信仰にかなり疑いを持ち始めた蓮見だと思うんですよ。
で、とりあえずライブには行ってみて、そこにたまたま星野が居て、「リリイだ」なんて、ようはそこに虚像のリリイが居るぞ、って事を蓮見は言ってると思うんだけど、その時点で蓮見はリリイは虚像だって事に気づいちゃってるんですよね。






■ 電脳BOY

違いますね。






■ ニクロ

どうゆう事ですか?






■ 電脳BOY

 あの場面は、星野くんに裏切られたわけじゃないですか。
ネットの住人、青猫が星野くんと同一人物と解ったわけじゃないですか。
裏切られたからこその、行動だと。






■ ニクロ

 それだと、この映画の流れというよりは、一時の感情みたいになっちゃうじゃないですか。
だったら、何故、ナイフを持ってたのか? って事になるじゃないですか。
あれは、普段から携帯していて、準備していたからであって、あの前後の心構えの問題なんですよ。






■ 電脳BOY

持ってたんじゃんじゃないですか? 最初からずっと。






■ ニクロ

持たないんですよ、蓮見は。
何故なら、蓮見は社会からはみ出さないことで、自分のポジションを確立しているから。






■ ハイジン

 俺は、やっぱり、青猫が星野と同一人物だった、というショックは限りなくデカいと思うんですね。
「リリイ・シュシュのすべて」の大きなバックホーンってのはやっぱりネットなんですよ。
蓮見にとっては、現実よりもネットの方が、繋がりが強いんですよ。
青猫とは、蓮見にとって、かけがえのない、現実の友達よりも深い友情を持っていて、「あなたに逢えて良かった」というやりとりがあったくらい、それくらい強かったのに、ネットの青猫が実は現実世界の星野であったという所の、同一視とする部分と、更にリリイの星野せいで見られなくなった、という部分で突発的にやった、という比重が大きいと思うんですけどね。






■ ニクロ

でも、それをやったら、2時間40分やって来て、それは薄っぺらい気がするんよね。
そう読み取ると、本当に30分くらいで出来そうな物語になっちゃうし。






■ 電脳BOY

でも、計画性は無かったでしょ絶対。






■ ハイジン

この物語って、「リリイだけが僕のリアル」って言葉、そのものだと思うんですよ。






■ ニクロ

 いや、リリイってのは、この世界の背景であって、メインテーマって所ではないと思うんですよ。
何で、リリイにいっちゃうかと言うと、それが現代の少年少女達の拠り所のない閉塞感、信用するもののない心の弱さであって、だから、援助交際とか、暴力とか、ネットに引きこもってしまう、心の弱さを描いてるわけで、リリイ自体は何も主張して来ないわけなんですよ、あの物語自体は。
ただ、勝手に少年達が憧れて、ただ背景になってるだけなんですよ。ハリボテの。






■ ハイジン

 俺は、リリイというよりも、ネットがデカイと思っていて、ネットの中の横線の中に居て、ネットの中の共通認識のアーティストとしてリリイが居ると思ってるんですね。
だから、リリイよりもネットの方が大きな存在を持っていて、そのネットの中の奴らが認識している共通の
崇拝する対象がリリイであると思ってるんですよ。






■ ニクロ

 そりゃ、そうやろう。これはもう、まるっきりそうゆうもんやから。
俺がさっき言った背景ってのは、そうゆう事なんですよ。
それが何かをする事はない。物語には添えられているけど、それが何かをして来るって事はない。
ただ、少年達はそれにすら、懐中電灯の光に寄ってくる虫みたいに、それを信じるしかない。実際は心の痛みを描いた映画だからさ。
インターネットが普及してしまって、大人との環境が遮断されてしまったある意味不幸ではあると思うけれども、根源は少年少女達のそこで何でやりとりがあったのか、という事やと思うから。
だから、血の通った物語だと思ってるんですよ。








少年の成長








■ ハイジン

俺は、この物語は全く血の通わない物語と思ってるんですよ。血の色がない、というか。
人間ではない、とまでは言わないけど。






■ ニクロ

それは、真逆ですねホントに。






■ ハイジン

この物語に、一切の思春期における通過儀礼はないと思ってるんですね。
現実の痛みを全て溜め込んで、リリイで消費する。それだけの物語だと思うから。






■ ニクロ

 成長って、そもそもいい事を成長って考えるのは大人の考え方で、ある意味星野が夏休み明けにイジメっ子になったってのも、成長じゃないですか。
そうゆう風に考えてみないと、そうゆうフィルターかかって観てるんだったら、そうゆう風に見えてしまうんだろうなって、思ってしまうんやけど。
そうゆう所で、最後、誰かが、良かった良かった、ってなった所を見ないと成長物語に見えないんだったらね。






■ 電脳BOY

でも、(ニクロの解釈では)蓮見は最後いい方向にいったんですよね?






■ ニクロ

 いい方向というよりは、大人になる。単純な大人になるって事なんですよ。
今までが、どうしようもない所に居たというか。
あれは、前進は前進なんやけど、ただ、蓮見自身がそれをいい事だとは別に思っていなくて、このやり方だったら、今までの自分になかったポジション、リリイなしの自分のポジションを作れるんじゃないか、っていうラストじゃないですか。






■ 電脳BOY

俺は、成長はしてないですね、あそこは。最後、久野さんに蓮見は喋りかけたと思いますか?






■ ニクロ

 喋りかけたかどうかは、ハッキリ言ってどうでもいいんですよ。
ハッキリ言って、喋りかけてないと思いますよ、アレは。
不安だから、自分が。ただ、今後、久野に関してそうゆう所があったら、星野にナイフで立ち向かったような、社会から逸脱する事はやらんと思うけれども、ただ、他の人に頼る、とか大人の協力を得る、そうゆうコミニティーを持って、久野を守っていくしかない、という。
守っていくしかない、という言い方をするから、凄い成長物語として捉えられるんだけど、守っていくしかないというか、もうそれしか方法がない、っていうラストなんですよ、アレは。








少女の結末








■ 電脳BOY

津田さんって、何で死んだと思いますか?






■ ハイジン

自殺じゃないんですか?






■ 電脳BOY

その自殺の理由






■ ニクロ

 俺が思うのは、時々なんですけど、リリイ・シュシュのリリフィリアの中の文章の交換の中に興味深いというか、作品に関係しているんじゃないかっていうキーワードがあるんですけど、「人間は空を飛べない」って言葉なんですね。
自殺する前に、津田があれ、グライダーって言うんですかね。
あれで、キラキラしたような顔をしてるじゃないですか。
本当に、あれで津田はもう大丈夫だな、って観てる方が思ったらああゆう事じゃないですか。
結局、津田にとっては飛んでしまいたい世界だったんですよ。






■ ハイジン

 俺は、今回、改めて見直したんですけど、これで観るのも何回目かになるんですけど、津田が死ぬっての解るんですね。
もちろん死ぬのは解っているんですけど。あの時、津田はイヤフォンを付けていないんですね。
当たり前ではあるんですけど、イヤフォンを外して、グライダーの所に行くんですね。
リリイ・シュシュを聞くのをやめて、駆けて行くんですね。
その瞬間に、津田が死ぬってのが、死兆星が見える感じで解ったんですね。
リリイにすがっていたら、現実見なくていいんですよ。






■ ニクロ

だから、結構、そうゆう風に持っていこうとしている演出ってのは結構あるんですね。








田舎とネット世界








■ ニクロ

話ガラッと変わるんですけど、この映画の田園いいっすよね。






■ ハイジン

限りなく都会のイメージがないんですよね。ビルとか全部排除してるから。






■ ニクロ

かと言ってクソ田舎を見たって感じではないんですよね。
あーゆう中で、ネット環境があるってのも違和感はないんですよね。
田んぼがあっても、そこでネットをやってるって感じだと、なんか、「天然コケコッコー」みたいな事になるけど(笑)






■ ハイジン

一つのビジュアルイメージとして、田園の中でイヤフォンを付けて、ってのがありますからね。






■ 電脳ボーイ

あのイメージシーンだけでもこの映画の面白さって伝わりますよね。






■ ニクロ

 俺は、実家が田舎なんでね、しっかりしてるなって思ったのが、あれは地続きである事の象徴だと思ったんですよ。
インターネットもある意味で、電波による地続きだと思うんですけど、この物語ってのは色んな作用が関わって、人が行動を起こして、それがまた違う行動になっていく、連鎖反応みたいな事が起きていて、で、その土壌ってのは同じなんですね。
みんな同じ土俵の中に居て。全く関係のない空間がないっていう所が、ある意味田園が象徴していると思うんですよ。
だから、イヤフォンでリリイの曲を聴いている時とか、星野が感情剥き出しで叫んでいる所とかも、全て田園なわけなんですよ。
あそこは、違う場所に居るんだろうけど、空間としては繋がっているという事の象徴だと思うんですよ。






■ 電脳ボーイ

この映画って、都会だったら、また全然違ってきますよね。
田舎故の閉鎖感からネットに逃げているというか、のめりこむというか。






■ ハイジン

 リリイ・シュシュって存在自体は、逃げ口というか、はけ口として存在するものだと思うから、で、リリイ・シュシュとはなんなのか?
と言ったら、最終的にネットを介する象徴だと思うんですね。
そうゆう意味で思春期とネットというモノが親密にアクセスした物語だとは思いますね。
そうゆう意味での、同時代性(00年代)だとね。それでは、今日はここまでで。



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