私は貝になりたい




2009年7月27日 更新



あらすじ

戦時中の日本。床屋を営む豊松は、家族三人で貧乏ながらも幸せに暮らしていた 。
ある日、豊松の元に召集令状が届く。何とか生きて終戦を迎え、家に帰ってきた豊松を待っ ていたのは逮捕状だった・・・
戦争中の無実の罪で死刑判決を受ける男を通して、戦争の理不尽さ、人間の弱さ、そして家族の大切さを改めて教えてくれる




制作国 :日本
公開日 :2008年11月22日
上映時間 :139分
配給 :東宝
監督 :福澤克雄
脚本 :橋本忍


出演者

中居正広 仲間由紀恵 柴本幸 笑福亭鶴瓶 石坂浩二






 史実を基にした同名映画のリメイクということだが「今、この作品をやる意味 」がどうも弱い。
最近の邦画の悪しき風潮の一つである。まあ、『椿三十郎』なんかよりは意義高いだろうが。
 戦争反対という普遍的なテーマを扱っているだけにGOサインが出やすいのかもしれない。
 それに1800円を払って子役で泣くか、動物で泣くか、戦争によって踏みにじられた家族で泣くかは近頃の映画の客にとっては同列である(そして三日もたたずに忘れてしまう)。
 その戦争が何故起こってしまったのか、戦争を起こさないためにどういうことに関心を持ちながら日々を過ごせばよいのか、ということも邦画は書き加えるべきであると思う(そういう意味では、家族ドラマにピントを合わせ、投獄された夫の為に克己する妻を大きく扱ったのは悪くない。いまや女性の力は良くも悪くも偉大なのだ)。
豊松は原作よりもしんなりしていて、もっと言えばナイーブで、殴るよりは殴 られて事なきを得ようとする現代日本人に替えられていたが、戦争がいとも簡単に純粋な人間の構造を破壊してくれるのはフルメタルジャケットの微笑みデブやジョーカーが教えてくれる。
自分が引き金を引かねば、上司が、あるいは敵が銃口を向けてくる状況で、一体何人の日本人が自分を貫けるのか。
その答えを邦画のバトル・ロワイヤルでさえ、描ききっているのに史実モノの戦争映画が戦争中の極限下の人間達を描こうとしないのは皮肉な話だ。
 豊松はまっさらな精神のまま戦争に行き、まっさらなまま投獄され絞首刑を言い渡されるまでまっさらな人間のままである。
観客が理想とする人間像ではあるが、その周りの人間達にも戦争の狂気がないため、豊松の経験した戦時体験の恐ろしさが伝わりづ らくなっている。
 しかし、エンタメとしての見せ方はかなり上等で、それは何より脚本の力。
今 日本で三本の指に入る脚本家、橋本忍(黒澤と「椿三十郎」を作った!)が数十年前に書いた脚本は今焼き直しても見応えがある。
登場人物の感情を捉えた構成と作品全体にちりばめられたアイロニイ(皮肉)は映画ファンをも唸らせるものがある。例えば主人公の家族の晩飯のシーン。
家は床屋。すいとんのような汁物 一品しかないことから相当な貧乏生活を強いられていることが分かる。
まだ小学 校にもあがってない幼い息子が言う。
「あーあ、また近所でお葬式がないかな」「どして?」「だって白い握り飯が食べれるもん」母は顔を伏せる。
父は商売道具の石鹸と米を代えて貰え、という。ここに表れる父の愛。
 夜、赤紙が父に届く。翌日、徴兵を祝して宴会が行われる。
そこで泣いている母の足元で息子は握り 飯を食べている。
そういった素晴らしい演出にやはり胸が締め付けられる。
セット美術やロケ地の情景もなかなか良く、130分はあっさり終わってしまう。
 ただ、難を申せばやはり中居くんでやって欲しくはなかった。
集客力を考慮しての起用だろうが、タレントにはイメージがある。
徴兵の日に「おい、一曲何か 歌え」と言われて中居が「いや、歌は苦手ですから」と照れて言うのは、脚本通りかもしれないがやっぱり客は笑ってしまう(そしてやはり音痴!)。
また役者としては平均点並の演技なのだがシリアスなシーンになるとドラマ版「砂の器」のような表情が見え、それは要するに使い分けが出来てないという証。
草薙の短いながらも真に迫る演技の凄さがよく分かる。

繰り返すようだが、とにかく脚本が秀逸でロケーションも素晴らしい作品なので、「出来のいい映画」にはなっているものの、原作の人間臭さが薄くなってしまって胸に響きづらくなっているのも事実だ。
ただ、原作未見の若い人には良い入り口にはなっていると思う。














2008年12月25日 MOVIX亀有にて鑑賞


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