バトル・ロワイアル






2009年8月26日 更新



あらすじ

新世紀の初め、ひとつの国が崩壊した。
自信を失くし子供たちを恐れた大人たちは、やがてある法案を可決、施行する。それが、新世紀教育改革法、通称"BR法“。
年に一度、全国の中学校の中から1クラスが選ばれ、コンピュータ管理された脱出不可能な無人島で、制限時間の3日の間に最後のひとりになるまで殺し合いをする法律である。
そして、今回それに選ばれたのは岩城学園中学3年B組の生徒たちだった。極限状態に追い込まれた生徒たちは、様々な行動に出る。
昨日までの友人を殺害する者、諦めて愛する人と死を選ぶ者、力を合わせて事態を回避しようとする者。
そんな中、生徒のひとりである七原秋也は、同じ孤児院で育った親友・国信慶時がほのかな想いを寄せていた中川典子を守る為、武器を取ることを決意する・・・。



公開 :2000年12月6日/日本/114分/東映
原作 :高見広春
監督・脚本 深作欣二
出演者 :藤原竜也 前田亜季  安藤正信 柴咲コウ ビートたけし












■ ニクロ

 それでは始めて行きたいと思います。バトル・ロワイヤルは丁度、俺たちが中学二年生の時にやってて、ほぼ同世代の中学三年生が殺し合いをするという内容に、怖いのと、観たい好奇心でタマラン!という一番いい時期に俺達はいたわけなんですね。
単純に面白いんですよ。同世代が殺しあうっていうのは。だから周りはみんなどうやって年齢ごまかしてバトル・ロワイヤルを観に行ってやろうかっていう。
顔パスしたり、兄貴の生徒手帳借りたりしてね。でもそれは当時全国的にそうやったんですよね。
それくらいムーブメントを起こした作品でした。






■ ハイジン

そのムーブメントって言うのは中学生同士の殺し合いって部分のこと?






■ ニクロ

 というより当時、「非行少年達」っていうのが一つのキーワードになってた。
で、今は「非行少年」っていう言葉はあんまり聞かなくなったんだけど、当時はやっぱりそういうニュースが多くて、そこで大人たちが一線を引く言葉として「非行少年達」っていうのを使ってたと思う。






■ ハイジン

 俺が14才のときに姉が17才だったんですね。
そのときにニュースでよく使われてたのが「キレる17才」って言葉で、その17歳の少年犯罪が多かった時代に姉がドンピシャの世代だったのをよく覚えてる。






■ ニクロ

 そういう所で大人と子供っていうのが割とクリアに線引きされていた。テレビやメディアで。
それは、子供に対して甘やかさずに育てられてきたのが当時の親の世代やったんですよ。
それで今の子供ほどではないにせよ甘やかされて育てられたのが俺らの世代。
両者の感覚には大きな溝ができてて、折り合わない。
多分、その折り合わない感じを当時「非行少年たち」っていう呼び方で呼んでたと思う。
ちょうどネットと携帯電話が普及し始めた時期でもあって、これらは親の世代、大人たちにはなかったもので、これで子供たちが何を行っていたかというと、自分たちの感情を記号化して共有することだった。
これで決定的に大人と子供の感覚に溝がハッキリし始めた。
その両者の対立をバトル・ロワイヤルは大人が子供に、中学三年生に殺し合いをさせるっていう一種のファシズムの方法で、つまり昔の大人のやり方で今の子供を静めようとした、っていう映画なんですよ。






■ ハイジン

 個人的な話になるんですけど、バトル・ロワイヤルが話題になってた時期には、俺は観てなかったんですね。
高校二年の夏にバトル・ロワイヤルUが公開されて、高校の友達と観に行ったんだけど、そのときも俺はまだ前作をまだ観てなくて、観に行く前日の夜にDVDを借りて付け焼き刃で観たんですよ。
でも眠いのと、映像が途中で止まっちゃったりで、あんまり真剣に見なかったんですよ。
翌日に観に行った「U」も、内容があれだったんで、バトル・ロワイヤルはもういいや、って。
 その後、高校の友達に原作本を借りて読んではみたんですけど、当時の俺は物語を消費していくような読み方をしていて、色んな作家の作品を同時に読んでいて特に分析することもしないで、バトルロ・ワイヤルは過ぎてたんです。
それで、最近になってバトル・ロワイヤルを観返して、ようやくまともな評価を自分の中で出来た気がするんですね。
やっぱり、評価されるべくしてある作品なんですよ、これは。それは、大人が一つの権威となり子供たちを殺し合わせる、という事が大きなポイントになっている。
「キレる17才」の時に、好き勝手暴れてる子供たちに対して、大人は権力を使い子供達に殺し合いをさせる、っていう大人だから持つ権威で子供たちを押さえつけるような。






■ ニクロ

 それはさっき俺が言ったような、甘やかされて育ったキレる17才、非行少年たちと呼ばれるような子供を、昔のように大人が甘やかさず色んなことを強いることで真っ直ぐにする。
そのシチュエーションの極論がバトル・ロワイヤルという考えがハイジンの言う権威ということやんね。






■ ハイジン

 いや、俺は当時子供たちが暴れまわってたことは何のせいかは知らないよ。理由もわかんないし。
時代性もあるんだろうけど、暴れてましたという前提があって、別にこの話では暴走族でも良かったんですよ。
「暴走族がすんげー暴れてるよ」っていう状況で警察が警察という権威を使って「お前ら、この中で殺しあえ」って言ってるような。
そういう権力を振りかざしてると俺は観て思った。








殺し合いの中の人間模様








■ ハイジン

 ただ、観ていて単純に面白いんですね。中学三年生の殺し合いというものが。
普通に青春群像劇として凄く秀逸に仕上がっている。






■ ニクロ

 バトル・ロワイヤルが青春群像劇というのはちょっと面白いね。
俺は完全に戦争モノとして観てたから。






■ 電脳BOY

まあ、青春って要素もなくはないよね。






■ ニクロ

 うん。そういうのも散りばめられてはいるけど、根本的には子供を大人の権威、権力で戦争下に置いて、そこでは自分の友達だった人が敵になってるかもしれない、自分を殺しに来るかもしれない、という状況で自分がどういう選択を取るかで「生きる」ということを見つめ直してるんですよ。
カップルで自殺するヤツがいたり、進んでゲームに参加するヤツが居たり、政府に反抗するやつが居たり・・・狂った国をあえて日本とは呼ばずに、一つのクラスに非行少年と呼ばれる人たちが集められた、っていうシチュエーションでバトル・ロワイヤルをさせられたんだと俺は思ってる。
 映画では42人を全員描くじゃないですか。あれは相当正解なやり方やと思う。
七原の主観でもって物語が進んでいったら単なるお化け屋敷なんよね。
その中で誰が誰を殺したっていう事実が明かされていくものにしちゃうと、それはもう戦時下じゃなくなっちゃう。






■ ハイジン

確かにそれをやっちゃうと学園ドラマ(笑)






■ ニクロ

そう(笑) 感情が一方的になっちゃうから。
俯瞰で見るというのは日本人が戦争を見るときと同じ精神だと思う。
テレビの向こうのイラク戦争を見ても個人の兵士の死までは感情が届かないわけで、そこにあるのは俯瞰としてのイメージの戦争。
映画が42人全員を描こうとしていたのはそういう所からも戦争の描き方になっている。






■ 電脳BOY

よくわからなかったんやけど、大人が中学生同士を殺し合わせてあれは一体どういう効果が?






■ ニクロ

 それは映画ではあまり語られてないんやけど、1000万人の失業者が出て80万人の不登校者が出ているという狂った国Aがあります。
そこでバトル・ロワイヤル法ってものが出来ました、って所から話は始まるから、映画の中で説明はない。
とりあえずそういうシチュエーションから始めたかったんだ、っていうのはあると思うんやけど。






■ ハイジン

 そこで俺がさっき言った青春群像劇っていうのは、自殺する子がいて、信じることが出来なくなって疑心暗鬼の中で殺しあっちゃう人がいて、逆に奪う側に回って殺す子が居て、っていうたくさんのケースがあるけど、俺は結局この中では答えは出していないと思ったんですね。
こういうシチュエーションで一体何が正しい選択なのかはあの映画では出ていない。






■ ニクロ

それは、もちろんそう。






■ ハイジン

 それは生きて帰った主人公とヒロインにしても事故で殺したってことはあるけど、殺そうと思って殺したことは一度もない。
逆に川田って男がいなかったら二人ともさっさと殺されてただろうし。
だけど最後にナイフを女の子が持ってきたっていうのは、大人が強制する社会であるならば、武器を所持する、殺されると思ったら殺すために武器を構えなきゃいけない。
一歩でもそういう事への準備をする事の「走れ!」ってことだと思う。






■ ニクロ

 うん。本当にそこで自殺するヤツが弱いとか、あるいは戦うヤツが正しいとか、そういうことではないけど、ただ、まずこういう社会ではもうあるんだと。
それはよっぽどのことがない限り覆らないんだと。まあ、「U」の七原みたく誰かが 革命を起こす位しかないと。
だからどう生きるかよりも、まず武器を携帯する、 身を守るために何かを用意しておくっていうのはいうのはそれ自体が「生きる」 ってことやと思う。
まあ、あのラストに関しては結構色んな解釈ができると思うんですけど。






■ ハイジン

ナイフっていうのは一つの比喩として見てた所があって、向かってくる相手には逃げるのではなく辞さない構えろってことで。






■ ニクロ

 あれには単純に最初のほうで死んでしまった親友の弔い的な意味もちゃんと含まれてるんだけど、色んなことを含むナイフではあったよね。
一つに答えを絞ってはいけない、すごく深いナイフやったね








僕たちに殺し合いは出来るか?








■ ニクロ

あの当時、必ず友達と話したのが「バトル・ロワイヤル法で選ばれたら、お前、俺を殺す?」みたいな。






■ 電脳BOY

当時はありましたね(笑) 考えたしね、ちょっと。どういう行動を取るのかっていう。






■ ハイジン

 それって凄く機能してるんですよね、中学三年生っていうのが。
仲いい友達と殺しあわなくちゃいけないけども、その子とは殺しあいたくない、でも殺さなきゃ死んじゃう。






■ ニクロ

 そのことを友達同士で話させて、イメージさせたって時点でこの映画はかなり成功の意味を持っている。
そういう状況を想定して危機感を持つことが、それは友達に殺されるってことじゃなくて危機感を持たないことの危機感。
これを中学生っていう感受性の強い時期に根ざさせたっていうのは大きくて、映画の一つの教訓だと思う。そういうことを全く考えずにふらふらと、中学校なんてね、生きていくもんだから。
だから急にそういうことを突きつけられると思考が止まっちゃう。考えた事もない。
でも、しばらくして「俺はどうなんやろう」ってじわじわじわじわ考えてしまう。






■ ハイジン

 最初、七原と典子が洞窟の中にいるときに、典子が「私みんなのことそんなに信じられない」みたいなことを言うシーンがあって、典子が中学校でいじめられてた経験があったっていう回想シーンが流れて、信じることがいいことなのか、信じないことがいいことなのか、答えとしては出ていない。
じゃあ七原は何をもってこのバトル・ロワイヤルに挑んだかと言えば典子を守るという事だけを前提として戦って。






■ ニクロ

四十何人生徒がいたけど、結局最後までピュアだったのは七原と典子と






■ ハイジン

「戦うのは止めて」って拡声器で言ってた・・・






■ ニクロ

 いや、あれはピュアではないと思う。現代社会では左翼なんですよ、あれは。
ああいう感覚の究極っていうのは、もし日本が他国に攻め込まれたときに戦争状態になったときに「いや、戦争は悪いことだから相手の捕虜になってでも戦争はしないでおこう」っていう人たちがあの拡声器の姿ですよね。
でも実際に俺らが日本国民である以上、相手の捕虜になって相手の奴隷になって生き抜くってことは絶対に間違いなんですよ。
だからあのシーンっていうのは一種の無様さなんですよね。
敵地の中で白旗振って、自分の居場所を知らせるっていう。






■ ハイジン

見せしめ的に殺されるもんね。








3年B組の生徒達








■ ハイジン

俺は、桐山役の安藤正信はかなりハマり役だったと思ったね。






■ ニクロ

 役者はかなり良かったね。川島役の山本太郎も。あの二人が機能してたから見れたってのはある。
ただ、藤原竜也がね・・・あの人は声の出し方から演劇俳優だから、上手く役を演じてるって印象はあっても、役になりきってるって思った作品って意外とないんですよね。
デスノートもそうだったんだけど。






■ 電脳BOY

若干鼻につくみたいな?






■ ニクロ

 うーん、脚本を読んでなりきろうとしてるんやけど、憑依してるって感じではないんよね。
俺、藤原竜也はいつも平均点以上出すバッターだと思ってる。ヒロインの子は良かったね。典子役の・・・






■ 電脳BOY

前田亜紀?






■ ニクロ

 クラスでもそこまで美人じゃないって設定があって、実際そこまで美人じゃないから良かった(笑)
いじめられてるって顔として見ても良くわかるし、主人公と結ばれるヒロインとしてもあの顔でありやし。
なかなかあの辺はキャスティング上手いなと。あとは柴崎コウと栗山千秋。ここがやっぱり外せない。
今有名になったこと抜きにしても残るもんね。






■ 電脳BOY

印象には残ってるね。








女の戦い








■ ニクロ

あとアイテムがあるやんか。あのエンタメ以外の何者でもない(笑)






■ ハイジン

でも、もしもアイテム抜きになったらまず女の子が負けるから、あれは力関係にルーレット的な要素を入れてゼロにしたということで機能してると思う。






■ ニクロ

 確かにこの映画は女の子がどう戦うか、というのが大きい。
というより男の戦いより7割女の戦いな気がする。女の子にはグループ意識があるから、男子から見たらみんな仲良く見えても、一枚皮がはがれると違うんよね。






■ 電脳BOY

あのカレーのシーンもね。あそこが一番印象に残ってる。気持ち悪くて怖いよね、あの辺。






■ ニクロ

 戦争下における、人が人を一瞬で疑って大惨事になるってああいうことだと思う。
だからあの辺も俺は完全に戦争として観てた。
で、さっき言った女子生徒の話に戻ると、俺、一個上手いなあと思ったのが、この映画ってパンチラがないんですよね。あれ服がフリルなんすよ。
最初はそういうカットを避けて撮ってるのかと思ったら、完全にそういうのをなくそうとしてて、ああいう配慮って言うのはまず女子が大きく動くことを想定していて、あれがあるから女の子の取っ組み合い、引っ掻き合いがものすごく生きている。






■ ハイジン

 こうゆう作品って、セックスの匂いがどうしてもまとわりつくんですね。
中学三年生っていう設定もそうだし、殺し合いって所にしてもそうだし。
その辺に関しては 栗山千秋のくだりでも少しあるんだけど。






■ ニクロ

一応中学生を扱ってるから当然こういう所もあるんですよ、っていうのをフワッと匂わせて後はもう潮が引くようにこの映画にエロチズムはなくなっていった。






■ ハイジン

柴崎コウが殺すところでも、ワンカットだけだけど全裸で男が死んでいる。






■ ニクロ

 ああいうのも平凡な監督がやると絶対レイプとか入れてくる。
あともっと回想シーンをアホのように入れたりとか。結構バトル・ロワイヤルはその辺シンプルでいい。自分を殺しにくる同級生。
自分は信じ切れるのか、あるいは疑うのか、殺すのか、立ち向かうのか、自殺するのか、そういう選択肢を大きく扱ってる。
脇道にそれなかったのがこの映画の成功の一つやと思う。中学三年生っていうのを扱うときにもっとネタになりそうな所があるのに、あえて行かなかったのは






■ ハイジン

でも、俺は中学三年生だからそういう題材を扱わずに済んだという気もする。






■ 電脳BOY

純粋な部分?






■ ハイジン

そう。まだ行動しかねるという部分。






■ ニクロ

 中学生がナイフで人を平気で切ってしまう社会で、俺は当然そこは言及されるべきだったと思う。
言及されるべきというよりあの映画の中では当然そういったことも起こりうる。
もう現実にも中学生のレイプ事件はあるからね。






■ ハイジン

性犯罪の発生率は治安の悪さと比例していくし、そういう意味ではあの状況下というのはそういうことが起こりうる可能性が結構高い。






■ ニクロ

極めて高いね。






■ ハイジン

 そう。でも中学三年生という年齢の低さがそういうことを抑制させていると俺は思った。
逆にもうちょっと年齢が上だったらそういう映画になりかねない。






■ 電脳BOY

時間制限もあるからね。暇がないっちゃ暇がない(笑)






■ ニクロ

でも、慰安婦というものが過去にあった以上、戦争という極限下において男が女を求めるというのは自然な状態であると思うし、ハイジンは中学三年生だからそこが抑えられたと言ったけど、俺はむしろ監督がそこを抑えたんだと思ってる。






■ ハイジン

でも、まだ自意識というか男女間の






■ 電脳BOY

行為?






■ ハイジン

いや、行為というか、七原が女の子のたまり場で「起きたよ」ってシーンで「 この意味分かる?」って言うやん?
「実は好きだった」とか、そういうまだオブラートに包まれてる恋愛というものをしなくちゃいけない年齢だと思うんですよね、中学三年って。






■ ニクロ

それはハイジンの考えがちょっとピュアすぎる気も。






■ ハイジン

例えば典子が七原が好きでクッキー食べて欲しいというシーンも、そういう匂いがプンプンする。






■ ニクロ

俺は、それは完全に監督がメロドラマ志向で撮ったんやろうなと思った。






■ ハイジン

中学三年生というのがメロドラマが成立するギリギリの年齢やと思うんやけどね。






■ 電脳BOY

まだ男と女にすごい壁があるから。






■ ニクロ

 いやー、それはすごくピュアな考えやと思うんやけどね。
俺が挙げたいのはそこが戦争と酷似した状況ということなんですよ。
女の子があそこまで簡単に人を殺せるのは、中学三年生っていう殻を破って獣ゾーンに入ってるからで、そこに踏み込んだときに性の問題っていうのが何故戦争の状況下で現れやすいかというと、人間が軽く動物に戻るからなんですね。
そこを描かなかったのは、中学三年生だからオブラートにっていうよりは、尺の問題と物語が横道に反れるとテーマとして成立しにくくなるから深作監督が抑えたんだと思う。






■ ハイジン

 俺はやっぱりあそこでワンカットだけ柴崎コウがそれを匂わすっていうのは、あの子が大人としての役割を持って、その役割を一身に引き受けたんじゃないかなと思う。
他でそれが描かれないのは中学三年生というまだその部分に踏み込めていない子供たちで、柴崎コウだけは






■ ニクロ

エロチズムの化身(笑)?






■ ハイジン

まあ化身とは言わんけど(笑) 大人の女性としての役割をね。





■ ニクロ

監督が抑えたんやと思うけどなー。それでは時間がきたので今日はこの辺で



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