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アクロス・ザ・ユニバース




2009年10月26日 更新



あらすじ

1960年代。リバプールからアメリカへ、ジュードが父親を捜しにやってきた。
彼は父親との再会には失望したものの、新しい友人マックスやその妹ルーシーと出会う。
やがてジュードはマックスとNYに向かい、歌手のセディが住むアパートの間借り人に。ギタリストのジョジョ、同性愛者のプルーデンスらと出会いい自由な時を満喫していた。兄を訪ねてやってきたルーシーとの恋に落ちるジュード。
しかしマックスは徴兵されベトナムへ…。

制作国 :アメリカ
日本公開日 :2008年8月9日
上映時間 :133分
監督 :ジュリー・テイモア
脚本 :ジュリー・テイモア ディック・クレメント
配給 :東北新社


出演者

エヴァン・レイチェル・ウッド
ジム・スタージェス ジョー・アンダーソン




 実はこの日、池袋の新文芸坐で上映されていた「ペネロピ」と「JUNO(ジュノ)」の二本立ての方にしようかと家を出るまで悩んでいた。
目的は「JUNO」で、アメリカの女の子がこれを観て、妊娠する子が続出したという社会現象を起こした、アメリカ版「金八先生」がどんなものかスクリーンで観ておきたかったからだ。
結局こっちに決めた理由は、併映の「ペネロピ」にあまり魅力を感じなかったことと、ミュージカル映画をスクリーンで2本立て続けに観たらどんな気分になるのか知りたかったからだ。
おれはミュージカル映画があまり好きではない。映画館ではほとんど観ていない気がする。
好きなのは「オズの魔法使い」と「雨に唄えば」で、あとはすぐに思い出せないものばかり。
どこかそんなに気に食わないかと聞かれたら、一言では難しいが、最終的に「ミュージカル映画だから」で片付けられるものが氾濫しているためと思われる。
別におれはリアリティに徹しろとは言わないし、むしろそれを念頭に置くとあのミュージカル映画独特の
映画以上に映画的な超現実逃避感が損なわれる。
おれが言いたいのは映画の大半を費やして築いてきた問題提起や衝突、ないし言いようのない悲しみをラストにおける最大級の歌と踊りの賑やかさで全て解決したように見せかけるずるさである。
全てがそうだとは言わない。
「オズ」はその楽しさの裏にある人生の諦めや難しさが深遠なテーマになっているし、それが未解決のままになっている(おれはそう思う)余韻が素晴らしいし、「雨に唄えば」はトーキー全盛の時代を余すことなくネタにしていて、行き詰った役者たちのどうしたら売れるか、が葛藤になっているのだから解決法も映画=歌とダンスしかない。
 ただ「歌って踊ってそれで万事解決」が昨今のミュージカル映画の良くない性質になってしまっていることは間違いない。
今回の2本のミュージカル、果たしてどうだったか。

60年代。イギリスの青年ジュードは戦死したと聞いていた父親がアメリカの大学で働いていると知り、再会した晩に、警察に追われていたマックスを匿い、仲良くなった2人はNYで様々な人と出会いながら自由を探す。
絵を描きながら暮らしていたジュードは、マックスの妹ルーシーに恋をする。
しかし彼女はボーイフレンドを戦争で亡くしたばかりだった。
次第に愛し合ってゆく2人だったが、ある日マックスの元に召集令状が届く・・・
ビートルズの名曲に乗せて動き出す幻想的なラブストーリー。

 おれが結構期待をしていた一本。なぜなら予告編の出来がめちゃくちゃ良かったからだ。
目を見張るイメージ映像のオンパレードで、それだけでもちょっとしたショートフィルムに見えてしまうぐらいの出来だった。
だが、本編を観て理解した。これはPVの連作映画なのだ。
別に悪く言ってるのではない。ビートルズという伝説バンドの名曲を何十曲も使いますよ、というのを宣伝文句にしていたのだから、その曲ごとにカラーが違って当然だし、ストーリーにマッチしていることもあってそれは成功している。
ただ、残念な事に大きな欠点もある。それは後で書こう。
とにかくジュードの歌声がいい。OPの海辺で歌っているかすれた寂しい声からして期待が高まる。
ヘアスプレーにはとても使ってもらえない声だが、魂を感じる。
エンターテインメント丸出しのミュージカル映画とは違うことが、もう冒頭だけで分かる。
おれは映画中の曲は「レット・イット・ビー」と「オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ」しか分からなかったにわかだが、選曲に合わせたストーリーを書いてるのは伝わってくる。
特に「アイ・ウォント・ユー」がラヴソングでありながら、ベトナム戦争の皮肉に使われていた辺りは鳥肌が立った。よくもあそこまで歌詞とマッチさせたものだ。
日本訳も相当いいのだろう。元ネタを知っていたら他にも色んな発見があったかもしれない。
ストーリーよりも歌詞からイメージした総合的な演出を優先しているという意味で、この映画はドキュメンタリーなのかもしれない。
良くも悪くも歌詞に従って映像が膨らんでいくのを目の当たりにすると、ビートルズも曲を作るときに視覚的なイメージが濃厚だったのではないかと逆説的な考えも浮かぶ。しかし、よくもまあ、これだけの曲を一つのストーリーに集約できたものだ。
スタッフも徹夜で話を作るのが楽しくてしょうがなかったのが伝わってくる。
「この曲、この場面で使えるんじゃね?」「この歌詞はこういう風に解釈すると面白いよ」そんな会話がスクリーンから聞こえてくる。
単なるラブストーリーものならおれもそれで納得できたかもしれない。
しかし、この映画はその大部分をベトナム戦争という歴史背景に負っている。
ジュードが親父を探すキッカケになったのも、ルーシーの恋人を殺すのも、マックスの自由を奪うのも、ジュードからルーシーを奪うのも全てベトナム戦争なのだ。
この根幹を担っているベトナム戦争そのものはほとんど描かれない。
ミュージカル映画のテンション的な意味もあるだろうし、ビートルズを映画の第一に考えた結果でもある。
ただ、そこをおろそかにすると話が極端に脆弱になり、結果、ビートルズを上手くパロディした映画という感想しか残らない。
PVとしては優秀だが、一本の映画として観るには厳しいところだ。
問題提起がそんなだから、当然ラストもサラリと流れていってしまう。
ビートルズと映画、両方を取るすべはなかったのだろうかと思わず考えてしまった。
ラストシーンの屋上ライブは「20世紀少年」に2巻に出てきたケンヂが二階でギターをかき鳴らすシーンの元ネタだったことに気付いた。
たしか、アップルレコードの屋上でビートルズが警官に止められるまで「ゲット・バック」を演奏した逸話だったが、映画のほうは、その方がムード的にいいのか「オール・ニード・イズ・ラヴ」に変わっていた。
それにしても、国も職業も違う2人の人間が同じパロディを考えつく辺り、やはりビートルズは偉大だなあと実感した。














2009年1月18日 早稲田松竹にて鑑賞


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