闇の子供たち




2010年2月8日



あらすじ

日本新聞社のバンコク支局駐在の南部(江口洋介)は、東京本社からタイの臓器密売の調査を依頼される。
同じころ、恵子(宮崎あおい)はボランティアとしてバンコクの社会福祉センターに到着する。
彼女は所長から、最近顔を見せなくなったスラム街出身の少女の話を聞くが、実は彼女は父親に児童性愛者相手の売春宿に売り飛ばされており……

制作国 :日本
公開 :2008年8月2日
上映時間 :138分
配給 :ゴー・シネマ
監督・脚本 :阪本順治


出演者

江口洋介 宮崎あおい 妻夫木聡 佐藤浩市










 新文芸坐で観た2008年度キネマ旬報第六位「闇の子供たち」。
2時間20分のほとんどがタイで撮影を敢行された珍しい邦画だ。あらすじからも分かるように内容は胃にずーんとくる重苦しさで、映像のほうも映倫指定ぎりぎりの容赦ないものとなっている。
観客の中には気分が悪くなって途中から観れなくなった人もいただろう。
が、生きたままの臓器提供や幼児売春という問題提起がテーマの一つとなっているので、観ている側が少々心を痛めるくらいでないとこの映画が作られた意味がない。
観客が劇場を出て「んじゃマック行く?」では作った側の自己満足になってしまう。
「闇の子供たち」は映画が終わっても考え続けることを義務付けられた稀な映画といえる。

 おれは前にテレビの仕事をしていたとき、特番のタイロケから戻ってきたディレクターと少しだけ話をしたことがあり、「日本人が向こうの男や子供を買って楽しむのはよくあること」とおっしゃっていた。
そういえば20世紀少年でも日本人の男がタイの子供に売春していたのがネタになっていた。
まだ心も体も成熟していない子供にとって幼い性体験は生涯傷を残すだろう。何歳から売春宿で働いていいかは国ごとに違うが、読み書きもまだ自由に出来ない子供がしてはいけないことだけは絶対に間違いないと言い切れる。
日本の慰安婦問題とはその点で大きく違う。大事なのは我々と同じ国に生まれた人間がそのような蛮行を行っていたと受け止めることだ。
犯罪に国境は関係ないかもしれないが、日本人は何か悪いことがあると、自分が当事者ではないことをまず主張したがる癖がある。 しかし、目を背けていてはいつまでも部外者のままだ。無理に関わろうとする必要はないが、劇中のタイ人のように日本人に対して蔑視の目を向けられたときにその事実を知っていることはとても重要だと思う。

 と、ここまでは映画の内容プラス観終わった後、諸問題についてじっくり考えてみた結論のひとつだ。
ここからは映画という見世物について語っていきたい。

 まず主演の江口だが、ハリウッド映画並みに堂々とした貫禄で、ひょろい日本人がタイで浮いているという感じが全くなく、好感を持った。
 ただ、細かい演技で下手なところが目立った。携帯電話を取り出す仕草がまどろっこしかったり、バイクにまたがる動作がいちいちダサかったりする。
タイロケだから撮影を急いだのか、取り直せばいいのにと思うカットもちらほら。
前にワールド・オブ・ライズというこちらもアジアを舞台にした映画を観たが、役者の仕草からカメラワークまで研ぎ澄まされていて、とても勝負にならない。
どうせやるならもっと本腰を入れて欲しかった。

 カメラも随分としょっぱかった。アジア物の映画はしばしばハンディで撮られることが多い。
恐らく、街の喧騒や民族性が綺麗なカメラワークを拒むのだろう。常に動いているくらいのほうが映画の生理としては気持ちがいい。
 ところが、本作のカメラは基本フィックスを時々パンする程度の慎ましさで涙が出てくる。
何故そんなところで日本人の謙虚さを出すのか理解に苦しむ。人を撮るときも、売春宿にいる女の子の目に涙が溜まっているのを、ながーいこと撮っている。
観客は全員薄々気付いている。涙が流れるまで待ってるんだろうな、と。
案の定、涙がぽろりと落ちるとカットが変わる。ああ気持ち悪い。時間がなくても撮り直して欲しい。本当に。
そんな約束をクリアしたみたいなカット、誰も観たくない。

 結局、主題は日本人なら絶対に観なければならないものを取り扱っていたが、映画自体は落ち着きのない出来に仕上がっている。
こういうのを否定すると後ろ指を差されるかもしれないが、おれは面白くなかった。
面白い面白くないの映画ではなく、映画的センテンスがつまらなかったのである。

 さらにいうと宮崎あおいがえらく浮ついた演技をしていたのが気になった。
自分探し中の女性像は悪くないが、結局何がしたかったのか結論が出てないのだ。結論を出すべき映画ではないが、人物に関しては結実してもらいたいと思う。
映画なんですから。














2009年2月11日 池袋新文芸座にて鑑賞


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