2009年11月23日 更新



あらすじ

シェイクスピアの『リア王』を毛利3兄弟の物語に大胆に翻案して描いた絢爛豪華な戦国絵巻。
過酷な戦国時代を生き抜いてきた猛将、一文字秀虎。70歳を迎え、家督を3人の息子に譲る決心をする。
長男 太郎は家督と一の城を、次郎は二の城を、三郎は三の城をそれぞれ守り協力し合うように命じ、自分は三つの城の客人となって余生を過ごしたいと告げた。
しかし、秀虎を待っていたのは息子たちの反逆と骨肉の争いだった。
やがて、秀虎はショックのあまり発狂してしまう。

制作国 :日本・フランス
上映時間 :162分
日本公開日 :1985年6月1日
配給 :東宝
監督 :黒澤明
脚本 :黒澤明 小国英雄 井出雅人


出演者

仲代達也 寺尾聡 根津勘八 隆大介 油井昌由樹





 一昨日と同じく池袋の映画館に来ていた。名前は「新文芸坐」。
いかにも映画ファンが好きそうな小屋であり、上映ラインナップも舌なめずりするものばかり。
とくに来週以降のヨーロッパ映画特集はゴダールあり、トリュフォーあり、ヴェンダースありと名作傑作怪作のオンパレード。
これを行かずしてどうして映画好きが名乗れようか?と、ちょっと興奮してたので話が横道にそれた。
時間を見つけてそれらは観に行くとして、今回18回目は黒澤監督の「乱」。
東京は比較的黒澤映画を上映する機会が多いらしく、また集客力もいい。
この日も朝から大勢の人が足を運んでいた。
やはり、いいものは観続けられるものであり、そうあるべきだ。
雑誌クイックジャパンで「ビリー・ワイルダーは常にお茶の間に流れ続けるべき」という三谷幸喜の言葉に同意すると浦沢直樹がインタビューで語っていた。
同じことが当然黒澤にも言える。
ただ、黒澤に関してはおれは少し反論がある。多くのまだ観ていない人に知って欲しいという気持ちはある一方で、あの小さいテレビ画面で初見して欲しくないと思っている。
そりゃ映画館で観れるならその方がいいと誰もが言うだろうが、黒澤作品は広大な自然や建造物を一枚の絵にもなるような広角で撮っている。
また、音にも非常なこだわりがあり、ちゃんとしたスピーカーを設置した完全防音の場所でないとそのこだわりを味わえない。
ビリー・ワイルダーのコメディをテレビで観たときとでは比べものにならないほどの落差があるのだ。
前述したように幸運にも東京では黒澤作品が観れる機会は多い。
「ぴあ」を毎日チェックしていたら一年以内には上映している映画館が見つかるはずだ。
その忍耐を持つか、我慢できずTSUTAYAに飛び込むかは個人の自由だ。
ただ、おれは前者でありたいと思う。

 「乱」は黒澤明がシェイクスピアの「リア王」を大胆に解釈した時代劇である。
老城主秀虎は三兄弟の長男に家督を譲ると宣言する。
上二人は納得したものの、三男の三郎は父の不甲斐なさにあきれ果て城を飛び出す。
隠居の身となった秀虎は、なおも大殿の権限を主張して城の中でも好きにやっている。
見かねた長男は秀虎を追放し、次男の元へ下った先でも門前払いを受けてしまう・・・。

 まるで美術館を回ったような映像美。緑深き頂。馬二頭の静止。
巨大なきのこ雲。合戦入り乱れる赤と黄色の軍勢のカラー配置。
そびえ立つ城。落ちた城。これが162分、一瞬とも気を抜くことなく続く。なんという贅沢さ。
贅沢さゆえスクリーンから放たれた
エネルギーにあてられて疲れてしまうこともしばしば。しかし、それは心地よい疲労感。
目が、脳が、心が芸術を吸い込んでいるのを直に感じる魅惑の時間。
さらに合戦はエンターテインメント。戦争ではなく、あくまで「戦」を描く。
矢が飛び交い、鉄砲隊が弾を詰め、槍と刀が交錯する。
土を染めるは大量の真っ赤な血。城内ではもはやこれまでと覚悟した女中たちの自害と屍。
やがて火が回りごうごうと燃え盛る栄光の居城。
これが地獄絵図。人間たちの欲望、宿命、本能、業が巡り巡って辿り着く過去、現在、そして未来。
我々の住んでいる星のどこかでも続いている現実。
歴史が始まってから一度だって終わったことのない宿運。
もちろん、シェイクスピア的な要素も忘れてはいけない。
ラストの弁舌なんかいかにもシェイクスピアだし、父と息子が重なり合うのは「ハムレット」でも描かれてきた人間の哀しさと愛の具現化だ。
まるで能の裁判劇を観ているような人物の構図や会話は舞台そのもの。
黒澤監督はシェイクスピアを時代劇に変調するのに映画的な興奮を持っていたとしか思えない。
これは以前書いたアクロス・ザ・ユニバースにも同じことがいえるかもしれない。
ビートルズから話を組み立てるように、「リア王」を下敷きにシナリオを書くのを楽しんでいたのではないか。
秀虎の絢爛な衣装が一枚はだけて白装束になる怖さ。
これは映画全篇をとおして衣装、メーキャップの勝利である。
また、武満徹の映画音楽のさりげなさが、ここぞというときのシーンに拍車をかけている。
ああいう映画音楽はちょっとした邦画の手本ではないかと思う。
そして、数人から何百人まで膨大な役者・エキストラを完璧に操る黒澤マジック。
現代でこれほど人を動かせる映画監督はいないんじゃないか。

 ただ、難点をいうなら途中の政略の話が中だるみすることだろう。
流れが一時ストップしてしまってちょっと頂けなかった。
しかしそれ以外は完璧といっていい。ここまで映画の全拍子が揃っているのもそうそうない。
「秋刀魚の味」は1,2年あれば撮れそうだが、「乱」は10年かけてもとても撮れそうにないスケール感だ。
個人的には秋刀魚の味の方が好きだったりするのだが、これは本当に好みでしかない。最後にあの仲代達矢の顔。
西洋とも東洋とも違う神秘的な怖さを持ったあの表情には、確かに哀しさが宿っていたのだ。














2009年1月24日 新文芸座にて鑑賞


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