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グミ・チョコレート・パイン






2010年3月15日 更新



あらすじ

高校2年生の賢三は、アンダーグラウンドなロックが好きな音楽少年。
他のクラスメートを低俗な奴らと嘲り、「オレはアイツらとは違う」と思いながら、何をしていいか分からず、毎夜、親友二人と酒を飲んでは悶々と過ごしていた。
ある日、薄暗い名画座で同じクラスの美甘子と会う。秘かに彼女に憧れていた賢三は、美甘子が自分と同じ側の人間であることを知る。
自分の中で何かが変わった賢三は、親友二人とバンドを組むことに…。


制作国 :日本
公開日 :2007年12月22日
配給 :東京テアトル
原作 :大槻ケンヂ
監督・脚本 :ケラリーノ・サンドロヴィッチ


出演

石田卓也  黒川芽衣  柄本裕  金井勇太  森岡龍






 来る4月4日の覚醒実験討論夜話第一夜。その2日前に、議題となる原作小説の映画版が一日限定で劇場でされた。
おれはDVDで観るのは嫌だったので、本当に幸運だった。しかも小説の中で賢三があしげく通っていた池袋文芸座が名前を変えた新文芸坐である。
時間を調べると朝の9時45分が一番無理のないスケ ジュールだったので、池袋駅に9時20分には到着できるように余裕を持って家 を出た(池袋駅から劇場までは徒歩三分)。
ところが綾瀬駅に着いて待っていても、電車は一向に現れない。ホームに駅員のアナウンスが響く。 「本日、強風により車両点検等でダイヤが大幅に乱れております。ご利用のお客様には大変ご迷惑をおかけいたします」
 この日、外に出たり、電車に乗っていた都内の人は覚えているだろうが、突風が 吹き荒む悪天候だったのだ。風で電車が止まるくらいだから、その凄さは想像に難くないだろう。
7分遅れで到着したメトロに乗るも、点検のためか停止信号にやたら捕まる。このシチュエーション、どこかで見たことある。
そうだ、前に「 クローンは故郷に帰る」を観に行ったときも電車が牛歩状態で(このときは人身事故だったが)、息を切らせてなんとかギリギリセーフだった。嫌な予感が走る 。

 大手町で丸の内線に乗り換える。千代田線のホームからかなり遠いので全力疾走だ。
なんとなく、賢三みたいだな、と思った。映画を見る為に汗を流すおれ。ち ょっと酔っていた。そんな一瞬の青春カットも、停まっている電車の行き先を見 て吹っ飛んだ。茗荷谷止まり。
終点池袋までは次の電車を待たねばならない。到着は9時40分。落ち着け、まだ間に合う、と自分を諌めながらも次に来た電車に乗り込むと、一分ごとに停止信号に引っかかるナメクジ状態。
到着して走って走ってなんとか間に合い、シャツを濡らし鉛のような体をイスに落とした数秒後 、オープニングクレジットが流れたのだった。

 正直、今回はあまり筆が乗らない。どう書こうにも悪いことしか出てこないからだ。
原作を読みきったから映画と比較してガッカリしているのか。もちろんそれもあるだろう。
ただ、一本の映画として観ても明らかに中身がない。中途半端で軽すぎるのだ。1800円払って観たら怒ってたかもしれない。

 先に数少ない良い点から挙げる。信者の多い金字塔的青春小説を躊躇なく脚色したことは素晴らしい。
出来が素晴らしいのでなく、その心意気が、良い。前にベンジャミン・バトンを書いたとき、フィンチャーがフィッツジェラルドに気を遣いすぎている、と指摘した。作者に尊敬の念を抱くのは勝手だが、小説は文学、映画はカメラなのだ。
そのために排除すべきこと、付け足すべきことは監督の感性に任せて大胆にやったほうがいい。一部の原作ファンは怒るかもしれないが、目が肥えている人は作品がよく出来ていれば真の理解を示すだろう。
特に日本人は遠慮しがちな民族である。実写版「ドラゴンボール」ほど別物にはしなく とも、映画らしさを持たせて貰いたい。その好例としてまずは一点。
 それからケラ監督は小ネタの見せ方がさり気なくて巧い。輪ゴムとか太った女の子とかね。新しくはないけどクドカンみたいで笑いの好みが合えば安心して観れる。カメラもカットを割らない演劇風の一枚画という古風な面白さがある。ここに更に一点。
 ハッキリ言って、この映画が観れるのはこの二点のおかげである。逆に言えば、 賢三のモノローグだらけの原作に忠実な映画だったら死ぬほどつまらなかったに違いない。そしてこの映画もほどほどにつまらない。

 それじゃ、あまり気乗りしない悪評を。 まず第一にポップ過ぎる、ということ。そもそも陰湿たる黒所の四人の物語をそのままやったって面白いわけがない。
小説で描かれる彼らの日常がすでにつまらないものだからだ。じゃあ何故小説はあそこまで面白いのか?それは小説だからである。
禅問答のようだが、つまり賢三の心をオーケンの軽妙な筆によって覗き 、筆者自身の冴えたツッコミによって、おれも冴えない青春送ったけど賢三みたいに色々考えてたのよ、と読者の共感を得られ、主人公たちの一挙一動に目が離せなくなってゆく。
だがこの仕組みをそっくりそのまま実写でやると、スケールの小ささが浮き彫りになってしまう。そこでケラ監督は外側をまず面白おかしく 塗りたてた。
賢三の親父はエルヴィス好きの元ギター弾き、タクオは輪ゴムを噛み、先生を欲情のままに襲う少年、カワボンはAVを借りたことが昂じてAV監督に。アララ、なんと黒所の周りは面白そうな人たちがいるんでしょう。
なんで 、賢三は女子に見られて勃起しないの? 詞が書けなくて失神しないの? この時点 で、賢三の自己嫌悪感や対人恐怖症は全く伝わってこない。おれは説明せいと言 ってるんではない。これはグミチョコの根幹であったはずだ。
そこを描かずして 、全てのシーンは機能しない。オリジナルの作品であれば「新」賢三に合ったス トーリーが展開されていたに違いない。 桑田圭佑が「波乗りジョニー」「白い恋人たち」が大ヒットして、「ポップ過ぎた」という理由で「東京」を発表して総スカンを食らったように、ケラ監督にも 「東京」をやって欲しかった。

 またこの映画には高校男子の恥ずかしいシーンがたくさん出てくる。賢三のオナ ニーシーンもその一つで、小説ではそれが重要なキーワードになっているのだが 、映像になるとどうしても笑いのカットになってしまう。
それはケラ監督は承知のうえで撮っているのだが、なんというか密室で高校男子がコイている感じが伝わってこない。空々しく、いかにもそういう場面を撮っていますよ、と言わんば かりの照れくささ。
直接の描写はなくても意義があるシーンはそれなりの撮り方があるものだ。19歳の監督が撮った「明日、君がいない」の高校生のオナニー の寂しさは顔から、体の振動から、目から滲み出ていたのである。
それだけの理由ではないが、美甘子でオナるという背徳感もやはり空々しいものになってしまう。

 とまあ、いくばくかの気になったところをあげつらってみたが、ケラ監督はああいうことをしたいのなら自分で脚本を書いてオリジナルで撮ったほうが絶対いい
原作ファンを怒らせるばかりか、映画でやろうとしている面白いことまで台無 しになってしまう。『罪とか罰とか』はまだ観てないが、そちらは今作ほど悪くは無いんじゃないか。ついそんなことを考えてしまう一本だった。














2009年4月2日 池袋新文芸座にて鑑賞


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