紅の豚








あらすじ

イタリア・アドリア海で飛行艇に熱中する、4人の少年とひとりの少女がいた。
彼らはともに大空をめざした。
やがて少年たちは戦火の中に、ひとりは青い海に、もうひとりは荒野の果てに、それぞれ手の届かないはるか彼方へと消えていった。
そして残されたのは少女と、ひとりの少年。
その少年も自らに魔法をかけて、人間であることをやめた・・・。




原作・脚本・監督: 宮崎駿
制作: スタジオジブリ
配給: 東宝
公開日: 1992年7月18日
上映時間: 93分













■ ハイジン

 続いては「紅の豚」です。まあ、宮崎駿は5作目で、箒で空を飛ぶ少女を描いたんですけど、今作では豚が空を飛ぶという、かなり特異な設定なわけなんですけれども。
一応、俺はあまり好きじゃない作品で、ニクロは好きな作品に挙げているんですね。
これは、たぶんお互い主張はあると思うんですけど。






■ ニクロ

 まあ、色が違うんですよね、今までのジブリ映画と比べて。今後のモノを含めても、かなり異色なんですね。
いわゆる宮崎駿の趣味みたいな事は、俺もなんとなく聞き及んではいるけれど、何がイイってね、男だけで物語をやった、って所に俺は、評価をしたいというか。






■ ハイジン

男性性は出ていますよね。






■ ニクロ

 本当にね。いわゆる、男のある種のバカさたいな所も含めて、男を描ききっている所があって。
宮崎駿はこれを、「戦争は嫌だけれど、戦争ごっこは好きな全ての大人に観て欲しい」と言っていて。
確かに男ってそうゆう所はあるんですね。






■ ハイジン

宮崎駿は本当にそうなんですね。
戦争は常に反対するスタンスは取りながらも、戦闘機は大好きみたいなね。






■ ニクロ

 そうそう(笑) ゲーム的な感覚でもまたないんやろうけど、結構好きなんですね、男というのは戦争的なモノが。
作られたモノに関してはね。だから、そうゆう男が戦争好きというバカな所を、マジでメインストーリーにして、実際に戦争も物語の中では起きているんだけど、ラストに関しては決闘というね(笑)。
女の人からしたら「何、考えてるのこの人達?」というような(笑) というような所を、メインに持ってきちゃうという、全編そんな感じなんですよね。
男の良さ、ダサさ、きな臭さ、みたいな所で勝負してて。
 で、そうゆうモノは本当は実写でいう所の、勝新とか(笑) 高倉健とか、ああゆう所なんですね。
で、ああゆう所がやると、本当にもう、背中でモノを語るみたいな所で、画面が暗くなっちゃうんだけど、確かにこれも画面は多少、今までに比べたら暗いような感じなんだけれども、ただ、描かれているのは明るい感じなんですよね。
場所的には。色も空の青と、海の青と、戦闘機の赤というカラフルな色が飛び交ってて、全体的には明るいんですよ。
明るい中で、閉じた男のカッコ良さをやる事に、宮崎駿は物凄く興奮していたんじゃないかと思うんですね。
 そこで、この作品を否定する人が多いっていうのは、本当に好きでやっているから、どう受け止めればいいかわからないというか、今までの宮崎作品ではそこが全てカバーされているんですね。
どう観たらいいか、という所は。
 ただ、これに関してはポルコのカッコ良さ一辺倒であって、そこにただ、痺れるしかないみたいな所の映画であって、そこに乗れるか、乗れないかだけなんですね。俺は完全に乗れた人で。
だから、ポルコにかけられた魔法もどうでも良くて。それが何を比喩してんのかとか、どうでも良くて。
仕草であったり、台詞であったり、そうゆういモノに痺れていくという事の心地良さを、俺は凄く感じるわけですよ。
俺が、「紅の豚」を肯定する主な理由ってのは、そうゆうトコですよ。






■ ハイジン

 俺はもうね、一番好きじゃない作品というよりは、嫌いな作品に挙げられるくらいで。言いたい事は解るんですね。
男のバカらしさを描いているというような。戦争は嫌いだけど、戦争ごっこは好きだ、って、男のロマンみたいな所を、描くじゃないですか。
で、宮崎駿じゃないですか、ポルコは。
で、豚っていうのは、千と千尋にも象徴的な記号として出てきたけれども、ようは食うだけ、みたいな。






■ ニクロ

 でも、宮崎駿は動物の中で豚が一番好き、って発言もしているからね。
結局、二面性を持っているんですね。
醜いという反面、その醜さを愛してしまうというような。
そうゆう意味での、バカらしさだと思うんですよ。男の。






■ ハイジン

 俺はやっぱり、もう戦争にも出ないし、食うだけみたいな、自分で魔法をかけたって言ってるから、そうゆうのに飽き飽きしていて、「もう俺は好きに生きるぜ!」という風なスタンスを持ちながらも、好き勝手に生きつつも、待っている女は世界に居て、16歳の純粋な女の子も好いてくれる。
好き勝手に生きるけれども、俺を待ってくれる女は居る、という、そうゆう風な、好き勝手やるけれど、世界は俺を肯定してくれる、みたいなスタンスが観れるんですね。
 だから、「もう、俺なんて豚ですよ」という感じで、「もう、全然、ダメダメですよ」というポーズを取りながらも・・・






■ ニクロ

 そうゆうポーズを取っていたか、っていう気はするんだけどね。
ようは、最底辺に下った、というよりは容姿は関係なく、松本人志が坊主になって、坊主一つで笑いを取ろうとしてるって気がしたんですけどね。






■ ハイジン

・・・それながらも、ある程度の評価は貰ってるみたいな。
好き勝手生きつつも、みんな俺が好きなんだ、みたいな。
そうゆういやらしさが見えてくるんですね。






■ ニクロ

まあ、そこをいやらしさと取るかどうか(苦笑)。 






■ ハイジン

俺は、観ていて気持ち悪いな、と思うくらいの(笑)






■ ニクロ

 いやぁー(笑) 本当に、権化やからね、男の。
そうゆう意味では、評価は必要なんですね。バックボーンとして。
だから、アレで本当に情けないヤツが、豚になり下がって、フラフラ自分の愛機で飛んで、たまに好きな女の所に行く、って話やったら、なんつーか、何もなんないからね(笑)。






■ ハイジン

まあ、それでは作品は成立しないんだけど(笑)。






■ ニクロ

主張が先にあるじゃないですか、今回は。






■ ハイジン

 やっぱり俺はね、「俺はダメだ」という主張を最初見せつつも、でも、やっぱり「全てを晒け出す、そこがカッコイイ」みたいな、そう思わせてしまうような構成が俺は、ちょっとなんかね。






■ ニクロ

 けど、それは最後の殴り合いで、顔が腫れ上げって、二人とも見てられないような、で、二人が海にバサーと沈んで、で、カウントを取ってる時に、ポルコが立ち上がって、見てられないような顔にフィオが抱きつくというのは、完全に見てられない男だけど、でも、やっぱりカッコイイんだ、という事の肯定ではあると思うんですね。






■ ハイジン

それもやっぱり、ちょっとした美化じゃないですか。
スタンスとしては「情けないけどカッコイイ」みたいな。






■ ニクロ

 いや、基本的には、作中のポルコはカッコ悪くないと思うんですよ。
というか、むしろ豚だからカッコイイみたいな見えてしまうんですね。






■ ハイジン

だから、それが、俺は、じゃあカッコ悪くいけよ、と思ってしまうんですね。






■ ニクロ

別に、カッコ悪くいきたいわけじゃないんじゃないですか?






■ ハイジン

 でも、ポーズとしてはカッコ悪いわけじゃないですか。
「俺、カッコ悪いですよ?」という感じの主張をしつつも、けれども・・・






■ ニクロ

 カッコ悪いっていう主張を、してんのかって気もするけどね。
あの人にとっては、生きていく上でのカッコ良さってモノの心情みたいなのはあるわけやんか。
だから、それは容姿が変わっても関係ないと。それに、豚ってモノに対して、容姿を左右してるのはむしろ観客の方じゃないですか。






■ ハイジン

だから、ポーズとしてカッコ悪いじゃないですか。
記号としてはカッコ悪いという事を主張しつつも、でも、そこがまたカッコイイんだな、というような。






■ ニクロ

でも、それが全てやからね、逆に言えば(笑)。
それを受け入れられなかったら、本当にどうしようもないですよ、この作品。






■ ハイジン

だから、そうゆう事なんですよ。そこが、俺は気持ち悪いんですね。






■ ニクロ

正直ね、今、聞いた時点で、この議論何を言っても無駄だなって事が解ったんですよ(笑)。
俺は、そこしか言う事がないんで。あそこにハマれたら幾らでも言う事あるんやけど。
そこにすらいってないとなると、 俺は言う事ないというか。






■ ハイジン

まあ、そこが全編というか、そこだけじゃないですか、語るトコというのは。






■ ニクロ

いや、まあ、もっとあるんです。、とりあえずこの議論は今日何を言っても・・






■ ハイジン

 いや、お互いの感想であって、俺は、そこは否定する、ってだけであって、「そんなん気持ち悪いですよ、宮崎さん〜」みたいな事なんですよ。
「そんなナルシストはいいっすわ〜」って(笑) 「はいはい、自分が好きなんですね」って事で、終わりなんですね(笑)。






■ ニクロ

別に、「カッコイイとはこうゆう事なんだ」とか、「飛べねえ豚はただの豚だ」とか、キャッチコピーが受けとめれなかったら、なんにもなんないですよ、この映画は。観てても(笑)。






■ ハイジン

そこを受け入れられる、受け入れられない、って話もきっとあるんだろうけど、俺は全否定なんですね。
「はいはい、カッコイイですね」って(笑)。






■ ニクロ

本当に、そうゆう人に対しては俺は何にも言えないです(笑) 議論の余地もないから。






■ ハイジン

だから、水と油の対立なんですよね。俺には、ナルシストの映画にしか観えないんで。






■ ニクロ

でも、ナルシストだったら、カッコ良くするんじゃないですか? 主人公を。






■ ハイジン

 だから、ようはアンチテーゼというか。反転の話なんですね。
最初に、何も持っちゃいませんよと、いうような。
カッコ悪いと言いつつも、ただ、そここそが実はカッコイイというような。






■ ニクロ

 なんか、顔と中身みたいな話になるじゃないですか、そうゆう事言い出すと。
なんか、ハイジンに関しては、顔と中身が分離していながらも、一つの人間の中に内容されているパーツみたいな所で、中身というモノが、それだけの男というモノを作っているという人も、居るんだよっていうトコじゃないですか。
 だから、ハイジンの言ってるのは、カッコイイ、カッコ悪いっていう所が分離していなくて、一つの事に対して、カッコイイ、カッコ悪いって言ってる気がするんですよ、聞いてると。






■ ハイジン

俺は、宮崎駿の個人的な主張が最も押し出されていると思っているんですね。






■ ニクロ

俺は、それに結構、シンクロするんですね。シンクロというか、同意したいな、というか。






■ ハイジン

 同意する人も、きっと居るんだろうけど、俺は嫌悪感を示すタイプなんですね。その主張に対して。
もう、それだったら、カッコ悪いでもいいから突き通せよ、と思うんですね。
だから、そうゆう意味でかなり個人的な作品だと言われると思うんですけど、俺は、嫌いな作品ですね。








宮崎駿の持つ母性愛








■ ニクロ

 それ以外の所の話もしたいんですけど、さっきも言ったように、コレは初めて男で撮り切ろうとした作品で、宮崎駿ってのは、女の強さってモノを凄く信じてる人だと思うんですね。
実際にそれはあると思うんですよ。ただ、紅の豚に関しては、ヒロインが二人居ますよね。
正直、今までの宮崎駿の作品だと、必ず寄り添うというか、力になるんですね。
実際にフィオは、力になるわけだけど、修理工という取替えの利くような所に居て、そこは女の強さってものを初めて捨てたというか、そうゆう包容力の中に居なくても、居ない事が男を貫くカッコ良さなんだぜ、っていう事を教えてくれる映画なんですよ。
そうゆう側面も、あるんだよという事を宮崎駿は言いたかった事を、俺は感じるんですよ、確かに。
今までこれだけ、女、女の映画を作って来て、でも、実際は違うんだぜ、みたいな。






■ ハイジン

ようは、女を女神として称えるだけでなく、男としての強さも持っている、みたいな。






■ ニクロ

でも、ちょっと反則なのが、途中でポルコの戦闘機を直す所の職場が全員女なんですね(笑)。
お婆ちゃんから、家族でやってて。






■ ハイジン

そこは、やっぱり本心じゃないんですか?






■ ニクロ

結局ね、あそこは抜け出せないジレンマみたいな事なんですよ、軽く。
全編、たけしにはなれないというか(笑) 究極の言い方をすると(笑)。






■ ハイジン

どうしても、女の手は必要だと。






■ ニクロ

 0ではないというか。そうゆう事ですよね、結局。
だから、女に頼ってしまう、男のだらしなさも含めて、男を描きたかったんだろうな、と思うんですね。
最後、フィオに抱きしめられるという所でも、別にそれがとんでもない救いになってるって事はないんですよ。
 ただ、旅の中で出逢った女が自分を好いて、それが決闘の商品になって、最後ポルコが勝ったから抱きつくってだけであって、後日談を考えると、その後、フィオに逢ってなくても全然いいわけで。
そうゆう風になってる事に、凄い納得が出来るんですね。
今までだったら、擬似家族の形成というか、ポルコに関しても寄る所の無い、裸の男一匹という感じで、最後はそうゆう所に落ち着くって言うのが、宮崎アニメの定型だったのが、一人何処かに飛んでいく、みたいな。






■ ハイジン

だから、最後のモノローグではフィオの目線になってるんですね。豚目線ではなくて。
入れ替わりなんですよ。豚が出逢った少女フィオって所から、フィオが出逢った豚、という風に。








踏み絵としての宮崎作品








■ ハイジン

でも、やっぱりね、最後まで主張していた「カッコ悪さの中のカッコ良さ」って、反復するようなんですけど、「カッコ悪いよ」と言ってしまうカッコ良さというか。






■ ニクロ

 でも、それありきの話ではないと思うんだけどね。
結局、ポルコが豚になんなかったら、そんなにカッコ良くないのか?
って言ったら、やっぱり、カッコ良いと思うんですよ。






■ ハイジン

 でも、ポルコは自分で魔法をかけてるからね。
最初から戦う事を放棄して、豚に成り下がる事のカッコ良さみたいなのを、見せつけられてる気がするんですよね。
戦わない、何も出来ない、でも、だからカッコ良いな、みたいな。
そこがちょっと、俺はナルシストと結び付けちゃうんですよね。






■ ニクロ

 でもね、ナルシストというけどね、ようは一人ライバルにイケメンの男が出てくるじゃないですか。
最後に殴り合いをする。単純に、そうゆう構図だったら、イケメンをコテンパに叩きのめして終わると思うんですよ。
敵はちょっとした悪という記号で描かれていて。
 ただ、最後は、殴り合いをして、イタリア軍から二人で囮になるんですね。
完全に友情が産まれているんですね。臭い所なんですけど。
そうゆう男的なモノを全部やっちゃって、じゃあ、本当のカッコ良さってなんだ、って言ったら、顔が男前であるとか、喧嘩が強いとか、そうゆう事ではないという事を、結構、ラストで証明してると思っているんですよ。
 ハイジンの考え方だと、ポルコが一人だけが居て、イケメンを叩きのめして、豚でもカッコイイんだぜ、って言ってるような気がするんですけど、本当にそうゆう話ではないですからね。
中盤までは、確かにそうゆう所はあるけど。






■ ハイジン

俺は、宮崎駿という一つの限りなくプライベートフィルムに近いスタンスを出している宮崎駿が、ほくそ笑んでる感じなんですね。






■ ニクロ

俺はそれでいいんですけどね。






■ ハイジン

いや、プライベートフィルムと言ってもかなり、偽っているんですよ。解りますか、この例え?






■ ニクロ

ようは、この前のしんぼるみたいなもんですか? 客を突き放しているようで、沿っているような。






■ ハイジン

いや、そうゆう話ではなくて、「俺の生き様ってこんなんなんですよ」っていう事を言いつつも、修正をかなり加えてるような。






■ ニクロ

修正ってのは、どうゆう事をしてんの?






■ ハイジン

修正というか、カッコ良く描いてるみたいな。
晒け出しているようで、部分、部分はカッコ良くしているみたいな。






■ ニクロ

人並みにあるカッコ悪さがポルコにないって事ですか?






■ ハイジン

なんつうか、だったら、最初からカッコ良いで行けよ、というような。
弱さと言うか、カッコ悪さを見せて。






■ ニクロ

どこなんですか? そのカッコ悪さってのは、豚になったってトコ以外で。






■ ハイジン

ようは、スタンスなんですね。
豚の出発点から、戦争に対しても行こうとしないとか、戦う事はやめて、みんなから非難されているみたいな。
その辺のスタンスでの話なんですけどね。






■ ニクロ

そこは、婦人の戦死した三人の夫も絡んでるじゃないですか。話としては。






■ ハイジン

もちろん、絡んでいるんですけど、作品全体を包んでる空気感が俺は受け付けないというか。






■ ニクロ

 それを言ったら何も言えないじゃないですか(笑)。 
まあ、本当にね、自分勝手に撮ってるんだな、って所に、船をシージャックするトコが冒頭にあるじゃないですか。
子供が凄い乗ってるんですよね、幼稚園児とか。
 で、ポルコが出て来て「わー、カッコイイ」って、ヒーロー観る目線になってて、機関銃をバババッと撃つ、の真下に子供が居て、向きを変えたりするんですよ。
ああゆう事は、宮崎駿は絶対にしなかったんですよ。今までは。
本当に、戦争ごっこは好きだ、っていう事を凄く強調するんですよ、あのシーンは。
戦争だったら、あんな事やっちゃダメなんですよ。銃の近くに行ってもダメだし。
そうゆうシリアスさは全く無くて、本当にこれは絶対にこれは、誰かに銃弾が当たって、死なないような戦争なんだな、って事があのシーンで解るんですね。
本当に、好き勝手にやりたいんだな、って事がよく出てるんですよ宮崎駿の。
 だから、男の決闘という視点を、たまたま戦闘機を使ってやった、みたいな所で、だから、プライベートフィルムってのは、俺はそうゆう所に感じるわけなんやけれども。特異な作品ではあるんよね。






■ ハイジン

俺と同じ意見の人も世の中には居ると思うんですけどね。






■ ニクロ

それは居ると思うよ。こればっかりは、好みだからね。正当性とか、そうゆう事ではなく。






■ ハイジン

そこにカッコ良さを感じる人が居るみたいに、嫌悪感を抱く人も。






■ ニクロ

まあね、ただ、音楽は一番いいかも。






■ ハイジン

秀逸ですね。






■ ニクロ

あれは本当にね、久石譲の一番いい仕事だと思う。






■ ハイジン

いや、他にもいい仕事はしてるでしょ(笑)。






■ ニクロ

まあ、他の作品でもあるけど、宮崎アニメという括りでは。






■ ハイジン

宮崎アニメでも、久石譲いい仕事してますよ(笑)。






■ ニクロ

 してるけど、俺はね、一番なんですよ、紅の豚の音楽が。
冒頭のね、持ってかれた、って感じの音楽の感じ。
他のスペクタルではないんですね。あのキーの高さみたいな所は。
本当に、戦争ごっこやってんだな、って音楽なんですよ。






■ ハイジン

戦争ごっこ、って、一番上手く作品を包む言葉ですね。絶対に、血は見ないという所での。






■ ニクロ

 だから、おもちゃ箱ですよ、紅の豚っていうのは。
そのプライベートさっていうか、そうゆう宮崎駿個人の他の作品では出さないよう感性に、添えるかどうかですよね、この作品を好きになれるかどうかは。






■ ハイジン

ある意味で、宮崎駿を受け入れられるかどうかの踏み絵的な部分も(笑) あるんですね。






■ ニクロ

そうゆう事です。






■ ハイジン

解りました。では、このくらいで。



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