シガテラ






2010年3月30日 更新



あらすじ

憧れはバイク。カワイイ彼女も奇跡的にできた。
あとはイジメられているのをどうにかするだけ・・・・。
日常の隙間を鋭くえぐる、青春17遁走曲(フーガ)。





著者 :古谷実
発行 :講談社
連載 :週刊ヤングマガジン 2003年〜2005年
単行本 :全6巻



















■ ハイジン

 それでは始めていきます。今回はマンガ「シガテラ」なんですけど、このマンガは2003年から2005年にかけてヤングマガジン紙上で連載されていた古谷実のマンガで、個人的な話としては俺は当時からヤンマガでリアルタイムで読んでいた口なんですね。
 それで、読んでいた当時は俺も主人公と同じ高校生で、そうゆう意味でも純粋にハマっていたマンガの一つで、個人的に好きなのを抜きにしても2000年代を代表する傑作マンガだと思っています。
 古谷実という存在は、ある種特殊な位置に居る漫画家で、テーマ自体は稲中の頃から一貫して貫いているんだけど、そのテーマがシガテラでは貫き通した末にゴールをした作品だと思うんですね。
 まあ、とりあえず広く喋っていきたいな、と考えてはいるんですけど、俺より取っ組みあって古谷実と向き合っていない、という意味では、電脳ボーイさんなんかは、シガテラにはどんな印象を持たれましたか?






■ 電脳BOY

 そうですね、実際にハイジンくんに勧められて、本当に勧められなかったら読んでなかったと思うんだけど、最初にヒミズを勧められて、それから続けてシガテラを読んだんですけど、ヒミズを読んでから続けて読んだからなのかはわからないんですけど、結構、さらーっと読めて、掴んでるというか。
で、今回、討論夜話でシガテラをする、って事でもう一回読み直してみたら、なんかちょっと違うんですね。前回と。ヒミズを読んだ後とは。
 凄い、一回一回のエピソードの終わり方が凄く気になるんですよ。急に始まって、結構しっかり描いてて、急に終わるんですよ。たぶん、それがシガテラの形式なのかもしれないんですけど、それが凄い気になって。
なんか、二回目読んだ時は、まとまっていない印象を持ったんですよ。ちゃんと一本の筋はあるんだけど、単発エピソード的なヤツはあんまり好きじゃないというか。そこが凄い気になっちゃいましたね。






■ ニクロ

 僕は電脳ボーイとは真逆で、短編に何か違和感を覚えてると思うんですけど、あのう、そもそもシガテラの短編、各エピソードというのは、 いわゆる法則で持って描かれていないじゃないですか。
ようは、映画だったらアパートが二つ建ってて、窓と窓の水平越しに男と女が住んでたら、恋をしなくちゃいけない、というルールがあるんですね。映画には。
 そうゆうルールは、ある種マンガにも当てはめられて、例えば事件が起きて、それに関わりそうな匂いがあったら必ず関わらなきゃいけない。
で、そっから物語が始まらなきゃいけないんだけども、シガテラに関しては起こる物語と起こらない物語があるんですね。そこはよく解ると思うんですけど。たぶんそれに対する煮え切れなさだと思うんですよ。






■ ハイジン

胃ガンの話しとかですよね?






■ ニクロ

とかですね。あとまあ、こっちが期待して前のめりに観てる時に、終わらせちゃうような感じもあると思うんですね。






■ 電脳BOY

盛り上げといて、すーっと消えちゃんですよ(笑)。






■ ニクロ

でも、そこは何かシガテラのテーマそのものですよね。






■ ハイジン

要するに、普通に暮らしているけれどもすぐ隣には殺人鬼が住んでいて、っていう、その目に見えない部分での闇って事ですよね。






■ ニクロ

 そう。全然、関係ないんですけど、「チャップリンの黄金狂時代」って映画で、チャップリンが冒頭で、雪山に居て雪山を歩いているんですね。雪山に金鉱を当てに。一発儲けに行ってたら、後ろから熊が付いて来るんですね。それは、一種のギャグなわけなんですよ。  で、熊が付いて来るんだけど、(熊が)チャップリンを見て、コイツは痩せてるから不味そうだ、みたいなリアクションをしてるわけなんですよ。
チャップリンはそれらの一連の動作に全く気づいていないんですね。それを観て観客は笑うんですけど。それで、その後熊は帰って行くんですね。
 ただ、チャップリンは最後まで熊の存在に気づかないんですね。客はそれで笑っているんだけど、でももしかしたら自分の人生にもそんな事は何回かあったんじゃないか、という事を思わせるシーンなんですね。
 で、シガテラも正に、そうゆう事であって、シガテラの本来の意味の毒(食中毒)って事に、気づくか、気づかないか、意識するか、していないか、っていう所で主人公の荻野は意識しちゃった人なんですね。
 意識を強くしちゃったが為に、それをまあ、最後まで引っ張って行っちゃって、それに色んな連鎖していくように見えるんだけど、実は、いわゆるヒミズみたいに、なるようにしかならないんだ、っていう所には行かない。なるようにしかならない、ってのが、いい意味でなるようにしかならなかった、という収まり方なんですね。






■ ハイジン

 「毒」っていうのは、作品全体を語るキーワードで、それに気づくか、気づかないか、っていう事では冒頭の荻野は、自分が毒に犯されている、というか、自分がイジメられてる、という状況に対して、気づいていないというか、イジメられている、という事に対しては意識していなくて、「変なヤツに 目をつけられて 大変だ」という言葉が表す俯瞰的な立場にまずは居るんですね。
 その中で南雲さんと付き合い始めて、それが幸せである筈なのに、でも、その幸せの中にこれから南雲さんに見合った男になれるのか?というその「幸せ」が「毒」を産んでる、というようなそういった構造になっているんですね。
 だから、毒ってモノが、表面的に見た時には猛毒である筈のモノには「毒」として意識せずにいて、表面としては「幸せ」である筈の所に「毒」を見出す(意識する)というそうゆう思春期特有の、物事に対して過剰に反応してしまうという所を摘出して描いている作品なんですね。









南雲さん









■ ハイジン

 やっぱり、この作品は俺はもう、南雲さんという人間こそが、俺はもうちょっと驚くというか、この作品のすごいな、と、驚かされてしまった所なんですよ。で、ちょっと南雲さんという人間を掘り下げて行きたいな、と思うんですけど。
南雲さんって、これはもう古谷実という漫画家の命題的な部分だと思うんですけど、要するに何もしていないのに可愛くって、性格も良くてって、そうゆう女の子が突然、彼女になる、というこれは一貫してずっと描かれてきた事で、それに対して理由を問いただす事自体がほとんど、意味の無い事というか。村上春樹の小説なんかでも、物語の途中でヒロインが急に居なくなったりして、居なくなってずっと出てこなくなったりするんですけど、それに対して何で居なくなるんだ、という事を問いただすのが意味の無い事で、それと同じように物語の構造の装置として、突然綺麗な、性格のいい女の子が出来る、という構成になってるんですね。
 だから、シガテラにおいては、南雲さんという存在は荻野にとって、どのような存在だったのか? という事についてちょっと、話してみたいんですけど。






■ ニクロ

 だから、自分の「毒」を認識させてくれる、「幸せ」を与えてくれる人であって、裏返せばそれもまた「毒」なんですよね。
ラストの巻の話をしちゃうと、最後の話しで荻野は全然、違う人と付き合って結婚する、っていう種明かしなんですけど、ラストはそうゆう事であって、あのう、南雲さんでなければならないのではなくて、その、南雲さんが居なくても荻野は普通に幸せになれたかもしれない、という事じゃないですか。
 だから、いわゆる絶対的な「幸せ」というモノはないんだ、という所から入っているんですね。二人が付き合い始めて、付き合う前の荻野だったら、あんな可愛い人と付き合えたら僕は何でも言う事を聞くし、毎日、何してもいい、という気持ちだったと思うんですよ。あの、教習所で南雲の事を片思いしている時の荻野は。でも、いざ付き合い始めて、本当にそれが手に入った時に、結構、そこにも更に条件がある、って事が見えてくるんですね。いわゆる「幸せ」になる為の段階みたいなものが。
 それは、今まで戦って来たモノと、そう大きな違いはないんですね、実は。ただ、あまりにも眩しいからそっちが「幸せ」という陰と陽に見えるだけであって、二つは結構、近しい所にあるというか。
 で、「毒」と「幸せ」って事にどう向き合うか、っていう作品だったと思うんで、僕にとっては南雲さんというのは、疑わしいというか、本当の意味で現実的な「幸せ」を与えてくれる女性だと思うんですね、荻野に。






■ ハイジン

 南雲さんで気になる点が一つあって、初めて南雲さんのヌードが出る所があるんですよ。
その箇所は、1ページ丸まる使って陰毛まで書き込んでるんですよ。
コレって結構、解りやすく象徴的な絵だと思うんですけど、要するに南雲さんという存在が、突然、天から降って来たわけではなくて。






■ ニクロ

そうゆう事ですよね。ちゃんと地に足の付いた一人の女性という。






■ ハイジン

そうなんですよ、ちゃんとした女性として生身の肉体としてそこに居るという。
ご都合主義だけのマンガのキャラクターではない事を、描いていた気がしたんですね。






■ ニクロ

 そこから色々と課題が出てくるんですよね、二人に。荻野もその事について悩み始めて、っていうそうゆう所なんで。
だから、いわゆる自分が今ある現状から脱出する為に抱いてる希望も、実はそんなに大したものじゃないという事の象徴だと思うんですけどね。
 だから、本当にどの登場人物が何処でどうなってもおかしくなかった、っていう描写は結構あるんですね。途中、出てくるメガネくんにしても、「あれが僕でもおかしくなかった」って言ってるじゃないですか。






■ ハイジン

 あの辺って、一つの区切りなんですよね。3巻から4巻にかけてだと思うんですけど、南雲さんとラブホテルに入って、っていう所で。
一応、二人が親密になっていく、っていうのを段階を踏んで細かく描いてたりするんですね。その、手を繋いで、キスをして、っていう風に。その最後にラブホテルに入って、とあって。
 そこで、南雲さんと荻野の距離が飽和地点に達したという意味で、そこで一度二人の関係は区切っているんですね。
そこから次の段階として、荻野という人間を相対的に、違う人物を出すことで描いているんですよ。だから、斉藤くんというメガネくんの「あれが僕だったかもしれない」というセリフは、「もしかしたら、僕がイジメられていたかもしれない」という言葉ではあるんだけど、同時に「もしかしたら、僕が南雲さんと付き合っていたかもしれない」という、そうゆう意味を含まれているんですね。
 実際にメガネくんの次に出てくる、越くんとのエピソードでも南雲さんと同じような綺麗な女性が彼女で居て、っていう同じような待遇を描いているけど、二人の考え方には違いがあり、二つの同じ境遇のカップルを出して、荻野・南雲カップルと比較して二つの違いを描いてると思うんですね。






■ 電脳BOY

二つのカップルの違いってのは何があるんですか?






■ ハイジン

 割りとこの二つの違いってのは、こうこうで、という明確な答えを出しているわけではないんですけど、一応、物語は荻野の主観として進んでいるけれども、でも、荻野の考えだけが本当ではなくって、越くんみたいな考えも世の中にはある、というそうゆう比較として出してると思うんですよ。
 だから、作品の視野が荻野の一人称から、三人称に変わってわけなんですね。
基本、この漫画は荻野の主観、荻野目線で進んでいくんですけど、南雲さんの気持ちとか、南雲さんだけの独白なんかも多かったりするんですよね。
 だから、普通は主人公と対になるヒロインの子が、何を考えてるとか、そうゆう事ってボカしたりだとか、常に「本当にこの子は、僕の事を好きなのか?」という所は、相手のヒロインの子の気持ちは見せないでってのが普通で。
 普通、こじらせている主人公に対して絶対的な承認を与えてくれる女の子が居て、っていう、その二人の関係であるならば相手のヒロインの子ってのは、記号として出してればいいんだけど、南雲さんというのは普通に荻野の事が好きで、という心の声を作中に出していて、私も荻野くんが居ないと、生きていけないんだ、という、お互いに支えあっているという描写も多いんですね。









100%の女の子









■ ニクロ

 この漫画で絶対悪に唯一近いのは谷脇ですよね。話の振り的にはシガテラという意味すら出て来てない頃は、こいつが居なくなれば日常が変わるんじゃないのか、っていう所で始まってるじゃないですか。
で、実際に谷脇は悪いヤツなんだけど、あいつも昔イジメられていて、というモノローグが入るじゃないですか。
結構、あの辺にフォローを入れてる辺りが、ヒミズから漫画として心境の変化があった気がするんですね。






■ ハイジン

心境の変化ってのは?






■ ニクロ

 いわゆる、記号的な悪を悪としてポンと置くんじゃなくて、全体的にもう、誰が誰でってのがわからないくらい解けてるような。
で、そこで逃がす為の一つのキーワードじゃないですか。元イジメられっ子というのは。まあ、そこの描写は全くないんですけど。






■ ハイジン

 俺がこのマンガを評価している所、すごいな、と思った事の一つに、要は荻野は自分自身がダメな男であるという事を、自分で自覚しているわけじゃないですか。
それはちゃんと、読んでいるこっちとしても解るわけじゃないですか。ダメと決め付けていなくても、自分人よりも劣っていると。
で、南雲さんという人物が、読者目線として見ても魅力的であって、二人が釣り合わないという事は見て取れるわけじゃないですか。
その状態での、荻野の一方的な片思いを描写しつつ、好きだという荻野の気持ちを見せつつ、二人が付き合い始めた時に南雲さんは「私は君を見た時に、もうこの人しか居ないと思っていた」と言うわけなんですね。
その辺に、俺はちょっとすごいな、と思うわけなんですよ。100%の承認なわけなんんですよ。女の子からの。
そして、それが全くブレてないないわけなんですよ。






■ 電脳BOY

一目惚れ状態ですからね。






■ ハイジン

 そうなんですよ。それが成立する世界っていうのが、古谷実の世界だから、別にそれは問題にならないんですけど、そこをしっかりと地に足着いた状態で描けるっていうのはすごいと思うわけなんですよ。






■ ニクロ

地に足着いたというのは?






■ ハイジン

それをとっぴおしのないファンタジーにするんじゃなくて、しっかりと丁寧に。






■ ニクロ

納得させてくれる、って事ですか?






■ ハイジン

 納得するしないは、読者に委ねられているんですけど、それに対してちょっと最後の方をくしゃくしゃっとやるんじゃなくて、一個一個をちゃんと描いていく、という意味で。






■ ニクロ

まあ、自分が出したかったああいう記号的なキャラだけど、ちゃんと人物として描いているという事?






■ ハイジン

そうゆう事です。









古谷実の深層








■ ハイジン

 ちょっと過去の作品にも振り返る事にもなるんですけど、古谷実という人間は80年代の人間なんですよ。これは、ノリの話ですよ。作品の。
稲中なんかが一番象徴的なんですけど、要するに80年代的な「勢いだけで乗り切れ(逃げ切れ)そうな」要素が、古谷自身の根底にあって、実際に、稲中ってのはそのノリが作品の多くの面積を占めているわけなんですね。稲中のキャラクターってのは。
だけど、勢いでけでは「乗り切られない(逃げ切られない)」っていうのが、90年代なんですよ。前にやったリバース・エッジの問題でもありますけど、いわゆるモノはあるけど、物語がない、そんな自閉していく時代の中で、稲中のキャラクター(古谷)は80年代のノリを90年代に持ち込んで、結局、こじらせて欝になっちゃう。これが稲中の根底にあるものなんですよ。
 で、そこでそれに対して真正面から自問自答を繰り返したのがヒミズであって、ヒミズが着地した場所が「決まっているんだ」であり、全てが決まっているが故に、闇に落ちる事への肯定がヒミズであって、ヒミズにも南雲さんと同じ救済装置として、茶沢さんが出てくるわけで、でも、茶沢さんでは住野は救われないという事なんですけど、でも、シガテラではちゃんと怪物も乗り越えるという。
一言で集約するなら、杞憂という事だと思うんですね。






■ 電脳BOY

考えすぎ?






■ ハイジン

 そうです。だから、これが一つの古谷実のゴール地点であると思うのは、この作品を最後に古谷実はモラトリアムの中に居る学生を主人公にした作品ってのを発表していないんですね。
これ以降は、モラトリアムを脱した大人を主人公にした作品を作ってるんですよ。
シガテラまでの作品では、学生というまだ未成熟な人物を主人公にしていたんだけど、シガテラでちゃんと怪物を乗り越える、という一つの自問自答の中で答えを出した事によって、大人を主人公に描き出したのが「わにとかげぎす」であって、「ヒメアノ〜ル」だと思うんですよ。
 ただね、ちょっと前に「ヒメアノ〜ル」が終わって、今、言う事があるとすれば「ヒメアノ〜ル」で古谷実は完全に臨界点を超えちゃったというのが俺の感想なんですね。
 だから、あのマンガは最後の最後の、オチの部分で「太陽が眩しかったから」って言っちゃったようなもんだと思うんですよね。
全ての理由に対して。だから、古谷実は次は稲中2を作るしかないと思うんですけどね。






■ ニクロ

まあ、稲中2はやらないと思うけど(笑)。






■ ハイジン

稲中2ってのは、要するにまたドタバタをするしかないというか。






■ 電脳BOY

また、ギャグ漫画を?






■ ハイジン

そうです。






■ ニクロ

でも、それをまた受け入れられる観客はもう居ないんじゃないんですか? 観客というか、読者は。






■ ハイジン

でもね、あれ(ヒメアノ〜ル)以降はもう無いですからね。






■ ニクロ

だから、もう説明はしないでしょうね、いちいちね。






■ ハイジン

説明はしない?






■ ニクロ

なんていうんですか、シガテラってある意味で説明じゃないですか。






■ ハイジン

ホントにね、シガテラは説明が多いですよ。






■ ニクロ

説明というか何ていうんですか、言葉で語るんじゃなくて、ストーリーによって全体からランダムに説明していく、みたいな。






■ ハイジン

 短編でぶつ切りで、確かに一個一個は個別なんですけど、それもちゃんと最終的な部分では、要するに上から観ればその一つ一つはちゃんとパズルのように繋がっていて、という。そうゆう形式をとっているんで。
だから、筋は一本通ってるんですよね。






■ ニクロ

 だから、全く説明すら必要の無いような、どうゆうものか、と言われたらあれなんですけど、そうゆうのを描いていくしかないかな、って気がするんですけどね。
まあ、稲中2は無いですね・・・(笑)。






■ ハイジン

いや、稲中卓球部2を描けと言ってるんじゃなくって。






■ ニクロ

解ってるよ。まあ、仮にそうゆうモノも無いんだろうな、って気がするんですね俺の中では。






■ ハイジン

 まあ、この先同じ路線でやるのであるのならば、俺は完全に見切るというか。最後までやっちゃった気がするんで。
さっきも言ったように、「ヒメアノ〜ル」のラストに関しては、太陽が眩しかったから人を殺した、と言ってるのと同じなんですよ。






■ ニクロ

 でも、森田に関しても軽くバックボーンはあるじゃないですか。いわゆる、ああゆう所でしか読者は納得するしかないという所で。
俺が言ってるのはそうゆう所も無い、という。本当に突き放すような作品で来るんじゃないか、って所で。
 まだ読者に寄ってるって所で、ハイジンは稲中2って発想だと思うんですけど、逆に次は無いって言ってるからこそ、本当に読者を突き放すようなモノを書くんじゃないか、って気がするんですよね。









世代的観点によるシガテラ









■ ハイジン

 このシガテラって漫画には、ちょっと世代的な時代的な所が含まれてる部分も多々あるんですよ。
例えば、荻野が最初に谷脇にイジメられていてそれに対して実感を持たないという所は、リリイ・シュシュの蓮見くんに通ずるモノがあるわけで、蓮見くんの目線の向きってのは、常にイジメて来る星野くんではなくって、インターネットのリリイ・シュシュであって、荻野の目線の先は常にイジメて来る谷脇ではなくて、バイクに向いている。
現実との間に、一つそれを企てるモノがあって、その先にバイクであって、リリイ・シュシュであってと、現実逃避の装置が常に備わっているんですね。






■ ニクロ

高井にはそれがなかったっという事で、彼は自分がイジメられっ子である事を自覚し過ぎた為にあーゆう行動に走ってしまうと。






■ ハイジン

高井の言葉の、あんなバカに人生めちゃくちゃにされてたまるか、というのと繋がってるわけなんですね。






■ ニクロ

 荻野がする突っ込みってのは、よくよく聞いたら結構毒だったりするんですよね。
テンションが上がって、「あー君は、○○だ!○○だ!」って、あるじゃないですか。
本当にもう、ブチ切れてる時の荻野のあーゆうツッコミって、普通に面白いんですけどよくよく聞いてみるとイジメられっ子とは思えないほど、結構ヒドイ事言ってるんですよね(笑)。






■ ハイジン

でも、あれはね、結構作品とマッチしているというか。






■ ニクロ

基本的に古谷実の描くマンガの主人公って、ダメなんだけど面白いですからね、言ってる事は。






■ ハイジン

 ヒミズの住田くんとは違うじゃないですか。荻野くんは。ようは、テンパってる感じが作品と合うんですね。
荻野くんは常にテンパってるじゃないですか。ちょっと、深読みし過ぎるというか。神経症的になってて。






■ ニクロ

まあ、だからある意味ではちょっと頭良さそうに見えるんですよね。言葉尻だけを見ると。単なるバカってだけではなくて。






■ ハイジン

 谷脇なんかが一番落ち着いてたりするんですよね。だから、そうゆう意味では、落ち着いている住田くんが最後破滅して、テンパってて過剰に読み込み過ぎる荻野がフツーの大人になるっていうのは、皮肉な所でもあると思うんですけどね。
 で、そのテンパりといわゆる「僕は君を一生幸せにするよ」みたいなセリフとが、すごく当てはまるというか。
そのテンパり具合と、南雲さんに永遠の愛を告げるっていうのが、芯は通ってるんですけどそれが真実じゃないという部分が、俺はすごく心地がいいんですね。
テンパってる時に言ってた「僕は一生君を好きでいる」ってのが、最後にひっくり返されちゃうっていうのが。
 要するに、それはまだ、大人じゃない時の言葉だった、という事なんですけね。
 大人になった時、それらの言葉ってのは全くの意味の無い言葉になってしまってるんだけど、でも、最終話におけるその結びつきこそがこの漫画のゴールであって、大人になるという事の意味だと思うんですね。
 だから、さっき言ったこの作品がモラトリアム間の古谷実の一つの結論に位置付けられていると思うんですよ。
 最後、大人になるという事で、怪物を乗り越えるという意味で現時点での古谷実の最高傑作であると同時に、今後もそれは覆らないと思うんですね。






■ ニクロ

あれ? ハイジンはヒミズが一番じゃなかったんですか?






■ ハイジン

個人で好きなのはヒミズですけど、完成度の上ではシガテラだと思うので。






■ ニクロ

世間的にはシガテラなんですか?






■ ハイジン

 世間的というか、作品全体を通しての完成度の上では。ヒミズに関しては、アレは完成度は高いし、面白いんですけど偏り過ぎてる部分もあるんで。
性能としてはシガテラの方が上だと思うんですよ。









哲学









■ 電脳BOY

哲学書を書けばいいんじゃない? 古谷実の。






■ ハイジン

哲学書?






■ 電脳BOY

なんか、古谷実に関する哲学書みたいなモノを。






■ ハイジン

 まあ、俺は古谷実の漫画は哲学だと思うんですけどね。稲中も俺は哲学だとは思うんですけどね。
進化じゃないですけど、読み進めるとどんどん人間を掘り進めていってるんで。






 電脳BOY

誰もが考えなくてもいいや、と思う所を深く追求しているような。






■ ハイジン

 で、ある程度、それに対して稲中の頃は、まあ、「僕といっしょ」なんかもそうなんですけど、ギャグで笑い飛ばしたりするんですね。
それを、ヒミズで真面目にやりだしたりして。そうゆう所だと思うんですよ。
だから、稲中なんかのあの乾いたハイテンションのギャグってのは、躁であって、それは裏を返せば欝になるわけであって本当に解り易いんですよね。シリアスへの変わり方が。
 稲中を読んだ後に、ヒミズを読んでみたら「ああ、やっぱりか」っていう(笑)。
 ただね、今後については期待をする事はなくなるかもしれないんですよね。「ヒメアノ〜ル」に関しては、面白くなかったわけではなくて、いいんですよ、アレで。
別に評価はしているんですけど、ただ、アレは最後の手札というか、アレを出しちゃったら無いんですよ、次が。
アレを出しちゃったら、もう次は無いんで、そうゆう意味で、俺の中では期待は出来ないんですよ。
最後の一枚を出しちゃったかな、という。
 だから、「ヒメアノ〜ル」自体は評価しているんだけど、これが最後かな、という感じなんですね。






■ ニクロ

まあ、でも森田目線の逃避行ってのは、今まで無かった話しじゃないですか。俺は結構、アレはノレたんですけどね。






■ ハイジン

俺もノレたし、「ヒメアノ〜ル」面白かったですよ。






■ ニクロ

 だから、入り口は今まで通りでいいんですよ。入り口は今まで通りでいいんだけど、例えば「わにとかげぎす」の時に、古谷実があーゆう、自分がどうしたらいいかわからない、という主人公の反対側に回ってるヤツのひたすら逃避行するような話を書くとは思っていなかったんで、そうゆう意味では入り口は全く同じでも、全然、違う所に飛ぶかもしれないですよ。
その辺はまだ、期待出来るんじゃないんですか? 例えば、今度は女の子サイドからの、という可能性もゼロではないですから。
 だから、そうゆう切り口によっては面白くはなると思うんですけど。






■ ハイジン

女の子サイドを描いてしまうってのは、俺の中では無いな、って気はしますね。
古谷実ってのは、女の人の力ってモノを、信じてる所が強いと思うんで。






■ ニクロ

じゃあ、描くんじゃないんですか?






■ ハイジン

 いや、それは男目線からしか描けないんですよ。要するに、男が描く女と、女が描く女の違いってモノが古谷実には強くあって、男が描く女、そこでの女性によって男が絶対的に救われるという部分が強いと思うんですよね。願望としもあるんですけど。
 まあ、俺の中では今後期待できるのか、っていう意味では期待出来ないだろうな、という思いが強いんですね。






■ ニクロ

期待というか、また違う所に飛ぶという事も考えられるじゃないですか。






■ 電脳BOY

可能性の問題としてはね。






■ ニクロ

これまでも、飛んで来たんで。で、その度に裏切られて来たんで。






■ ハイジン

 んー・・・でも、俺の意見としては、最後の手札の一枚を使っちゃたんじゃないかな、という。
と・・まあ、ちょっとシガテラから最後、脱線しちゃったんですけど(笑) 時間なので今回は、こんな感じで。



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