となりのトトロ
あらすじ
「お化け屋敷に住むのが父さんの夢だったんだ」と、こんなことを言うお父さんを父に持つ小学六年生のサツキと四歳のメイ。
このふたりが、大きな袋にどんぐりをいっぱいつめた、たぬきのようでフクロウのようで、クマのような、へんないきものに会います。
ちょっと昔の森の中には、こんなへんないきものが、どうもいたらしいのです。
でも、よおく探せばまだきっといる。見つからないのは、いないと思いこんでいるから。
原作・脚本・監督: 宮崎駿
制作: スタジオジブリ
配給: 東宝
公開日: 1988年4月16日
上映時間: 88分
■ ハイジン
「となりのトトロ」を初めて観た時の事って覚えていますか?
■ ニクロ
初めて観た時? 何回も何回も、テレビでやってるからいつ初めて観たかは、記憶にないんやけど。
ただ、凄い子供の頃から観てたってのは覚えているんですよね。
■ ハイジン
それは、俺も一緒なんですよね。まあ、ラピュタ然りなんですけど。
本当に、俺たちと同じか、以降の年代ってのは、「となりのトトロ」を最初から知っているような。
■ ニクロ
そうそう。いつくらいに観たっていう出発点がないんですよね。
■ ハイジン
ちょっと、大袈裟に言えば産まれた時から知っていたくらいな。
■ ニクロ
解るよ。そうゆうノスタルジーじゃないですけど。
そうゆう感覚がこの辺の宮崎アニメにはあるんですよね。
トトロかぁ・・・。活劇というか、スペクタルなものが三つ続いた後の、ココやからね。
トトロという、ようは、寓話みたいなもんじゃないですか。
オープニングも「となりのトトロ〜♪」という、この(笑)。
今まで観てて、宮崎駿を支持してた人が「舐めてんのか!」っていうくらい(笑)。
もしかしたら、そうゆう人が居たんじゃないかというような作品を、出してきたわけやけど。
やっぱり、このまま冒険活劇をやってたらダメだろうな、という危機感はあったんじゃないですかね。
■ ハイジン
それは、ラピュタで活劇は完結しちゃったって事ですか?
■ ニクロ
さっき喋ってて思ったんだけど、ラピュタの次にスペクタルをやっても、まあ、間違いなく面白いモノは作れるけど、だから、どうなるんだ自分に? ってトコはあったと思うんですよ、絶対に。
■ ハイジン
ラピュタが完璧過ぎたって話をさっきしたんですけど、そうゆう意味で活劇に関しては、作りようがないというか、次はもうないですからね。
やり込んだ所はあるし。
■ ニクロ
そうゆう所で、原点に立ち返るというか、自分の幼少期を見つめる上で、もし自分の住んでる森の奥まで行ったら、お化けが居たらどうなるか? って、この、ホントにノスタルジーなんですよね。
■ ハイジン
さっき言った初めて観た時の記憶がないくらい、小さい時に見ているんだけど、でも、理解していないという事もないんですよね。
■ ニクロ
これは、ホントに俺はポニョでも言いたいんですけどね、何処を切り取ってもいいんですよね。
トトロに関しては、物語ですらなくて、たまたま、こうゆう村があって、トトロというお化けが居る所の、長い生活の中で、たまたまトトロに出会った時期があって、たまたまそこにカメラを向けただけの感じだと思っているんですよ。
本当に息づいてるから、だから、イマイチ言葉の意味が解っていない子供が観ても、スーッと入っていけるってのは、そうゆう所だと思うんですよね。
物語ではなく生活が支配してるんですよ、作品を。
生活感というものが、俺がトトロに持ってる一番いい感情なんですよ。
■ ハイジン
トトロの構造的な話をすると、トトロって物語にはトトロとの出会いを思い返すシーンが、物語の最後に入る余地はあるんですよね。
ようは、トトロとの戯れを、大人になったサツキなりメイなりがそっと、思い出すようなね。
出会いはあるけれど、別れというものがない、トトロと出逢ったまま終わる構造になっているんですね。
■ ニクロ
本当にね、主題歌の歌詞にある「子供の時にだけ あなたに訪れる素敵な出会い〜♪」って、子供の時だけなのに、子供の時だけで終わる(笑)。 そこはポイントなんですよね。
■ ハイジン
ちょっと、深読みして考えると、お母さんが病気持ちという設定は、一つの欠落じゃないですか。
いわゆる理想の家庭像に置いての。で、その欠落した部分を補填する役割としてトトロが居るという風に解釈が可能だと思うんですが。
■ ニクロ
補填かな? トトロが補填している、という話になると、俺はちょっと違和感があるんよね。
■ ハイジン
まあ、補填とまで言わなくてもいいんですけど。
■ ニクロ
俺は、サツキがどうお母さんになっていくか、って話と思ったんですけど。
■ ハイジン
さつきはお母さんの役割を果たしてはいるんですけど、サツキが手を負えない所があるじゃないですか。
クライマックスなんですけど、メイが居なくなるという。そこで、サツキに協力するのがトトロじゃないですか。
トトロとはそうゆう、お母さんの代わりとまでは言わないですけど、欠落している家族を支える存在だと、俺は。
■ ニクロ
すごい、いいお化けみたいな(笑)。 まあ、いいお化けではあると思うんやけど、そんな座敷わらしみたいな言い方に(笑)。
■ ハイジン
物語の構造上としては、そうゆう側面はあると思うんですよね。
■ ニクロ
でも、俺ね、トトロは逆に居なかった、って考えもあると思うんよね。
トトロが居たんじゃなくて、二人の行動力が、トトロみたいな形で現れるというか、二人が成長して、二人がお母さんに所に行きたいという、気持ちがああゆう風に具現化した、って話でも、俺は全然いいと思うんですよ。
だから、それくらい、さっきも言った、何処を切り取られてもいいみたいな、何処から物語が始まってもいいみたいな所で、生活というものが最初にあるなっと思って。
メイが学校に来るシーンあるじゃないですか。お婆ちゃんに「いい子にしてたんだよ」って言われて。
結局、学校の中に入って、「これ何?」「トトロだよ」って、あのシーン無くてもいいじゃないですか?
この映画、複線もクソもなくて、生活の中に、お化けが居るんじゃないか? って具現化させたものを見せて、それがただ日常に沿っていく、って話じゃないですか。
だから、誰かが何かアクションを起こしたから、何か事件が起こるって事では、本当に無くて。引いてもいいけど、もっと足せるって事もあって。
それは、物語が必要としてるんじゃなくて、宮崎駿がどこまで描こうか、って所だけなんですね。
■ ハイジン
でも、やっぱり俺は、お母さんが退院したら、トトロは居なくなると思うんですけどね。
■ ニクロ
うーん、なるほどね。
■ ハイジン
サツキが母親代わりって事は、日常描写でもすごい描かれるじゃないですか。
お弁当作ったりだとかね。メイの面倒も見るし。
でも、お母さんの前では、子供に戻ってて。サツキが知らない町で助けを求める所にトトロが居て、っていう。
トトロが手助けをしてくれて、メイも無事に戻って、って所で終わるじゃないですか。
だから、母親の欠落ありきのトトロだと思うんですよね。
■ ニクロ
たぶんね、サツキは普段お母さんとして頑張ってるけど、それはかなり強がりなトコはあると思うんですね。
そして、そこでメイが居なくなると、そこで頼るものが本当に居なくなるんですね。
お婆ちゃんも、そこまで頼れるわけではないし、カンタとか町の人も手伝ってくれるけど、損失感が凄くて。
そこで、助けてくれるのがトトロってのは、確かに、そこを埋めてるって感じはするんですよね。
トトロとは何かを象徴してるのかって話では、まあ、さっきハイジンが言ったお母さんの補填って事がそうかもしれないんだけど、トトロって何なんだ? って事で、結構、話せそうかもしれないですね。
■ ハイジン
それは、記号的な話ですか?
■ ニクロ
まあ、記号という事も含めてなんですけどね。
単に、お化けであり、そうゆうファンタジーって構造はあるんやろうけど。
■ ハイジン
でも、トトロってモノ自体はね、ファンタジー、架空の生き物としてね、夢のあるモノだと解釈するしかないとは思いますよ。
■ ニクロ
大人になる事のバカバカしさではないやろうけど、子供の時のあの心を、って所はあると思うんですよ。
トトロという物語の構造
■ ニクロ
お父さんの立ち位置っていいですよね。現実にそこまでしがみついていなくて。
子供っぽい所もあるじゃないですか。本当に仕事をしてるのか? 的な所で、全然、描かれないじゃないですか、その辺は。
いつも、書斎みたいな所で、モノ書いてて、それが俺、お絵かきしてるみたいにも見えるんですよ(笑)。
すごい肩の力の抜けた大人だな、っていうか。
やっぱり、あの辺がガッチリしちゃうと、千と千尋になっちゃうんですよ(笑) 位置関係が。
■ ハイジン
根付いてますよね、子供に大人は。親はしっかりとした形で描かれますからね。
ちょっと、千と千尋は、あれって極端じゃないですか(笑)。 全く子供を見ないという。
■ ニクロ
だから、アレは物語なんですよ、結局。生活ではなくて。ようは、記号なんですよ。
俺は、宮崎駿の記号じゃない話が一番好きかな。ラピュタもそうだけどさ、記号的になると話がつまんなくなるんですよ。
物語物語して。トトロはね、本当に、足しても引いてもいけない、ってのがラピュタだとしたら、足しても引いてもいいってのがトトロって気はしますよね。いい意味で。
もちろん、抜いちゃいけないシーンはあるけど、全てが機能してるってほどでもないっというか。
あの辺のね、カメラをフッと向けた感が、すっごく好きなんですよね。
■ ハイジン
メイが虫眼鏡で、野原を歩いたりとか?
■ ニクロ
そうそう。あの後、トトロに出会うんだっけ? 小さいトトロに。
■ ハイジン
そうですね、歩いてるんですね。
■ ニクロ
たぶんね、アレの前の日とかにも、同じような事をしているんですよ、メイは。
でも、そういった事は描かなくてもいいんだけれど、ただ、そういった日常は見えるやんか?
あの一日だけああゆう事をしたんやない、っていう。
そういうのがね、凄い、人間を描いてる、っていうのが。
■ ハイジン
メイが虫眼鏡で歩いてる時は、視聴者はメイですからね。完全に。
トトロを発見した時には、(メイと)一緒に「何だアレは!?」って思いますからね(笑)。
■ ニクロ
まあ、タイトルで解ってるけどね(笑) 「何だあれは?」って客もおらんやろうけどさ(笑)。
■ ハイジン
まあ、そうですね(笑) そういや、トトロとサツキのファーストコンタクトって、雨のシーンなんですよね。
■ ニクロ
そう、お父さんの傘を持って行く時、メイをおぶっててね。
■ ハイジン
それで、ドングリを貰うんですよね。
■ ニクロ
夜中に、植えてて、トトロがポーズを取ると、パッと芽が出て。トトロに乗って、ファーッと空を飛んで。
で、ココが大事なんですけど、朝になると、トトロが居なくて「あれは夢だったのか?」と思うと、ドングリがあるんですね。
あそこをすごい強調したのが千と千尋というか。本当にそんなのあったのか? っていう。
まあ、あったんだろうけど、という所をすごく強調するのが。
■ ハイジン
千と千尋は、物語として出口を作ってるんですよ。
■ ニクロ
完結しちゃってるんですよね。
■ ハイジン
だから、千と千尋は、アレが夢であると押し切ったら、押し切られるんですよ。
ちゃんと、出口があるんで。
でも、トトロは入り口としてトトロを出してるんだけども、トトロを逃がしてないんですよ。
世界がトトロの居るまま、終わっちゃっているんで。
だから、最初言った何年か後の回想シーンが入れば、夢だったのかどうかもわからないんだけれども、トトロはあの場で終わっちゃってるから、トトロとは作品の中に存在していて、サツキの中にも居るんですよ、しっかりと。
そこの違いだと思うんですけどね。
トトロの居る世界のファンタジー
■ ニクロ
田舎の感覚はすごいですね。いわゆる田園であったり、友達の女の子だったり、あの感じというか。
おばあちゃんとか。ああゆうお婆ちゃん居るんですよね、田舎来ると(笑)。
■ ハイジン
お婆ちゃんは、ラピュタとは全く違うお婆ちゃんですよね。
■ ニクロ
全然、違いますね(笑)。
■ ハイジン
でも、いわゆるシータがドーラを慕ったのと、同じような感覚で、メイはあのお婆ちゃんと擬似家族を形成するという構造になるんですかね?
■ ニクロ
うん、まあ、そうなんですけど、そこまで強調はされていない感じなんですよ。擬似家族と言っても。
俺は、あのお婆ちゃんと、家族の関係性ってのはあんまり考えていないんですよね。
トトロを観ている時も、観終わった後も。確かに、親身になってくれるんだけど、親切な人ならあそこまでするかな、って。
他人との距離感が残ってる感じなんですよ。まあ、家族はそもそも居るからね。
だから、あそこで擬似家族を形成する必要はないし、お婆ちゃんがお母さんの代わりになる必要はないんだけど。
■ ハイジン
ただ、物語の始まった時点では、母親が居ない、という。不在の中でのお婆ちゃんの存在ってのは。
■ ニクロ
でも、そこにトトロがおるから、トトロがおって、かつサツキがお母さんになろうと頑張ってるから、そこまで関与しないって構成はあるんですね、一応は。
やっぱり、サツキ目線ですからね、この物語になると、どうしても。
だから、メイが急に飛ぶのが怖いんですよね。展開として。いきなりメイの目線になるのが。
今まで、引きで全員入ってる感じやん? お父さん、サツキ、メイ。
メイも最初、まっくろくろすけ見つけに行く時は、一人になってるけど、アレもメイの目線というよりは、扉を開けたらメイが居た、というカメラを据えてて、そうゆう目線であって、意外感はないんやけど。
本当にメイだけの目線になるって所がね、急にゴッと来るんですよね、あそこは。
■ ハイジン
だから、今まで広げていた物語としては、すごい庶民に密着した形じゃないですか。
いわゆる、オームだ、飛行石だ、と来た中で、メイの失踪をクライマックスに持ってきたってのは。
■ ニクロ
今作ったらゆる系と言われても仕方ないくらいの(笑)。
■ ハイジン
でも、何でそこにファンタジーがあるのか、って言われたらトトロじゃないですか。
■ ニクロ
トトロと、田園やね。あれが都会で、ビルの隙間にトトロが居るとかやったら、本当に違うからね。
意味合いが(笑)。
■ ハイジン
まあー、間違いなくトトロは捕らわれていますね(笑)。
■ ニクロ
100%ね(笑) で、観てて面白かったのが、サツキとかメイが居る田舎ってのは、隠れられる場所が沢山あるんですね。
トトロも。まあ、隠れてるわけじゃないかもしれないけど、トトロもある程度探さなきゃ見つからない所に居るし、よく二人が、かくれんぼ的な構図になる所が結構あるじゃないですか。
今、現在の失われたモノが、隠れるスペースって事を、観ていて思ったんですね。
ああゆうモノが欠落していて。今は、あらゆる所で監視されていたり。
情報が人に握られていたり。本当に、監視されている監視社会で。
隠れられるスペースってのは、空間としていいんですよね。
でも、中盤まではそれでいいだけど、隠れられる社会から、メイが本当に隠れたままになっちゃうんですね。
■ ハイジン
神隠しに近い事ですからね。
■ ニクロ
だから、あそこで本当にドキッとするんですね。
あそこで、メイが居なくなるって所で、今までそこを包んでた空気が、一気にキュッと弛緩するんですよね。
だから、ああゆう空気の持って行きかたは、こうゆう話でも宮崎駿はしたたかだな、って思うんですよ。
■ ハイジン
対象年齢をグッと下げて来て、宮崎駿の作家としての凄さを見せつけられた感じはありますよね。
■ ニクロ
でもこれを見せ付けられた上で、あざとさはないんですよね。そこがやっぱり、一番凄いんですよ。
結局、ノスタルジーだろ、って言えないんですよ。これを観て。そうゆう事ではホントないんですよ。
■ ハイジン
子供騙しではないですからね。
■ ニクロ
そうそう、子供なんですよ(笑) 宮崎駿は「アニメは子供のもんだ」って言ってるんですね。
アニメは子供の為に作られるものだ、っていう所で。
それまでの三作で幾ら子供も活劇が好きだ、と言っても、何処か大人向けだった所を、完全に子供まで落として、かつ大人も含んでしまった。ちょっと、E.Tに近い所もあるんですね。
E.Tも子供の物語であって、それにすがって大人も観に来て。
ただ、向こうがちょっと意図的なのに対して、トトロはもっと自然に売り出してるな、って気がして。
■ ハイジン
消費する対象を、全く違うベクトルでやった感じではありますよね。
ラピュタは子供向けの冒険活劇であった筈が、アニメファンに消費されてた。
■ ニクロ
売れる受け皿が出来てるんですよね。もう、ある程度、観てて気持ちいいのは解ってるって感じで。
トトロに関してはそれがないというか。新しい受け皿を作っちゃったくらいの。
■ ハイジン
思い出装置とは違ったベクトルにあるんですよね。
■ ニクロ
もっと、深いというか、もっと深層心理にある作品というか。溶け込んじゃうんですよね。
■ ハイジン
それが、俺ら以降の年代だと、産まれた時から知っているような心理になっちゃんですよね。
■ ニクロ
だから、これの後で田舎をやっても全部、二番煎じになっちゃうんですよね。
「河童とクウの夏休み」を観ても(笑) まあ、やってる事は違うし、あっちは都会なんだけど、子供の頃のノスタルジーというと、トトロには遠く及ばないんですよね。
■ ハイジン
田園が舞台で、ほとんど何も起こらないアニメとしては偉大ですよね(笑)。
■ ニクロ
これも、ラピュタに続いて、次が続かない物語だった気がするんですよね。
言い方があれなんだけど、教科書的なね。作り方の教科書ではなくて、ワンジャンルの教科書としてのね。
誰も次をやっても、追随出来ないというか。そうゆう所の、手を出せない感じはあるんですよね。
トトロ的なものって言葉もないですからね。作れないんじゃないですか。これからも。
■ ハイジン
俺は、トトロ的な系譜としては、ポニョなんかは、近いモノを感じますけどね。
■ ニクロ
俺も、それは凄い言いたいんですよ(笑)。
■ ハイジン
じゃあ、ポニョはポニョの章でじっくりと(笑) 一つトトロで付け加えると、トトロは興行収入的には失敗してるんですよね。
ただ、魔女の宅急便から一気に興行収入を上げて、ジブリブランドに箔が付けていったってのは、結構、面白い現象かと。
■ ニクロ
なるほど。確かにね。
■ ハイジン
それでは、「トトロ」はこの辺で。