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崖の上のポニョ








あらすじ

海辺の小さな町。崖の上の一軒家に住む5歳の少年・宗介は、ある日、クラゲに乗って家出したさかなの子・ポニョと出会う。
宗介のことを好きになるポニョ。宗介もポニョを好きになる。「ぼくが守ってあげるからね」
しかし、かつて人間を辞め、海の住人となった父・フジモトによって、ポニョは海の中へと連れ戻されてしまう。
人間になりたい!ポニョは、妹たちの力を借りて父の魔法を盗み出し、再び宗介のいる人間の世界を目指す。
危険な力を持つ生命の水がまき散らされた海はふくれあがり、大津波となって押し寄せる。
海の世界の混乱は、宗介たちが暮らす町をまるごと飲み込み、海の中へと沈めてしまう。
はたしてポニョは無事人間になる事が出来るのか・・?


原作・脚本・監督: 宮崎駿
制作: スタジオジブリ
配給: 東宝
公開日: 2008年7月19日
上映時間: 101分










■ ハイジン

いよいよ最後になりました。2008年公開「崖の上のポニョ」です。
この作品は、公開から1年以上経ってはいるんですけど、やっぱりハッキリと覚えていますよね?






■ ニクロ

 俺は、めちゃめちゃ覚えていますね。二回観に行きましたからね、俺は。
なんというか、二回観に行ったというのも、ハウルも二回観に行ったんですけど、ハウルはわかんない所も含めて、補填しようというか、ある意味、自分が見抜けなかった所を観に行く、お勉強みたいな感じで観に行ったんですけど、ポニョはそうじゃなくて、本当に、もう一回あの海に浸りたいな、という気持ちが強くて。
ポニョに関しては、物語物語していないという意味ではトトロ以来じゃないかと思うんですよ。
トトロは物語しているんですけど。もっと、透明度が高いというか、空気みたいな所で。
 で、そうゆうなんていうんですか、脚本が無くて、画コンテだけで作ったんじゃないかって気がしたんですよ。最初観た時は。
どうも、戦略で持って撮られているというよりは、宮崎駿の経験と言うか、最も作品を作る上で大事な感性みたいなモノで久しぶりに作られた作品だと思って。
 で、二回目観に行った時も、新たな発見はあるんだけど、ただ、誰かに話したい発見ではなくて、自分の胸に留めておきたいような発見だったりするんですよね。
それは、トトロを観た時と近いモノがあるんですよ。






■ ハイジン

俺は、ポニョに関しては、違和感と言うか、ちょっとしこりが残ってるんですよね。






■ ニクロ

まあ、ハウルよりは残らないけどね(笑)。






■ ハイジン

 まあ、ちょっと、また構造の話をするんですけど、千と千尋は、入り口と出口にちゃんと蓋をする事でまとめあげられた映画じゃないですか。
トトロに関しては、異世界に対して、そのまま開け広げで終わっているファンタジーじゃないですか。
ただ、ポニョの場合は、まあ、ポニョとの出会いがあり、そして別れがないという、入り口だけの作品なんですけど、その広げ方がちょっと、風呂敷袋を限界いっぱい広げたまま終わったような終わり方なんですよね。






■ ニクロ

これはたぶんね、頭からケツまで絶対決まってなかった作品だと思うんですよ。
で、それはいい効果を産んでるなって気がして。ハイジンはそれに対して、ちょっと否定的というか。






■ ハイジン

 まあ、別に否定をしているわけではないんですけどね。違和感になるんですよ、それが。
いわゆる、ポニョとの出会いから、馴れ初めから、試練だとか、そういった事も含めて、最後のケツの部分で閉じる事が出来る作品こそが、俺の中では、スタンダードだと思っていて、それが最後ケツで、キュッと閉めないで終わっている事が、ちょっと拍子抜けをしたというか。






■ ニクロ

ああ、そうゆう風に観てしまう人は、たぶんダメなんだろうな。






■ ハイジン

(笑)






■ ニクロ

いや、コレ別に上から見てるわけじゃなくて。タイプの問題なんですよ。
コレを、好きになれるか、なれないかというのは。






■ ハイジン

まあ、俺がふと思ったのが、のび太と恐竜で、ピー助が過去に帰らないというか。解るでしょ?






■ ニクロ

 うーん・・・解るけど、俺は、ピー助ほどポニョは異世界の住人だとは思ってないんですよ。意外と。
途中で、擬人化はするわけだけど、本当に宮崎駿が描きたかったというのは、自分と対等なモノに対する約束、という事がテーマだと思うんですよ。
約束を築くって事がメインになってるんで、逆にそれとの築いて来た日々というよりは、本当に俺は宗佑が主人公だと思っているんで。






■ ハイジン

まあ、宗佑が主人公という事は、全員が思っている事じゃないですかね。






■ ニクロ

あっ、そうなんですか?(笑) 崖の上のポニョなんで、ポニョが主人公かと。






■ ハイジン

となりのトトロで、トトロが主人公とは。






■ ニクロ

まあ、そうゆう事か(笑) まあまあ、「僕が守ってあげるからね」って所が、はたして果たされるのか? 
っていう所で、で、ラストで果たすわけなんですね。
守ったという。だからある意味で、約束を守るというルールを映画ではちゃんと貫いているんだけど、
ただ、貫いた事によって、今からポニョはどうなるんだ? という違和感は確かにあるんですよね。






■ ハイジン

 いわゆる、ネット界隈で、ポニョの今後で、住民票がどうのこうのって議論をしている人を見た事はあるんですけど、俺は、別にそうゆう事に関しては何か思ったりはしないんですよ。
ただ、純粋にあれだけ見せられても、正直、よくわからないじゃないですか。
今後という部分が、不透明すぎて。津波だとか、そうゆう事に対しての処理も、一切してないじゃないですか。
あのラスト場面に関して言えば、ある事が起こって、でも、ポニョが宗佑の所にやって来て、これで物語はちゃんと終わりましたよ、完結しましたよ、みたいなポーズが見えるんですよ。
これは、千と千尋の頃から続いてると思うんですけど、ある種の強引さによる結末というか。
宮崎駿が、これで終わったので、めでたしめでたし! みたいな事を大きな声で言ってるような気がするんですよね。






■ ニクロ

 俺はね、ポニョに関しては全てが起こりうる物語だと思っているんですよ。現実世界において。
もちろん、世界の終焉とか、グランマンマーレとかは、現実世界には出て来ないわけですけど。
ただ、あの津波に関しても、実際に大規模な台風が起きれば、起きるわけで、確かに多少の誇張はあれど、アレは本当に自然界と人間界の間で起きる事なんですね、単純に。
 それを、宮崎アニメ演出で見せるから、海には目があるし、生物的な描写みたいな所は、娯楽性も含めて、描いているんだと思うけど。
俺は、本当に目指しているのは生活だと思うんですよ。コレは、トトロの時にも言ったんですけど。
ポニョというのは、モデルになっている島に宮崎駿が滞在して、その時に地震があったらしいんですね。天災の地震が。
地震があった時に、宮崎駿は「ポニョが居る」と言ったらしいんですね。
でも、それはポニョじゃないじゃないですか。当たり前だけど(笑)。
 ただ、宮崎駿が言ったのは、単純にテレビ用のインタビュー用の言葉というわけではないわけなんですよ。
そうではなくて、天災自体が、ある種の物語的というか、モチーフとして化ける存在であるという事を言いたかったと思うんですよ。
だから、アニメに置いてああゆう演出をするというのは、いかにもポニョが来て、引き起こしてとか、見てる方はどうしても最初からフジモトの回転とか知ってるから、物語が始まったからああゆう事が始まったと思ってるんですけど、アレは普通に起こりうる事が起きているんだな、という感覚なんですね。
 だから、俺的にはそれで死傷者が何人とか、そうゆう事よりも、アレは毎年、二年に一回かわかんないけど、ある事で、それに関しは我々は、例えば朝、そうゆうニュースがあった、というのを見て、家に帰って来て急いで何人死んだかなと、見ようと思わないのと俺は、同列だと思うんですよ。
まあ、自分が住んでる所だったら見るけど。別に、遠い島が、そうゆう事になったって事に関して、別に心配する人もいなかったら、そうゆう事も見ないわけで。
 ただ、あの物語に対して我々は、一つ映画の登場人物と家族になってるから、そうゆう事を気にしちゃうわけだけど、でも、あれは結局一災害として捉えられてるからこそ、そうゆう事はあえて描かれていないと思ってるんですよ。こっちが気にする事はないという。








宮崎駿のエゴイズム








■ ハイジン

 でも、結局、全ては宮崎駿のエゴによって収拾する部分があると思うんですよ。俺の解釈では。
だから、宮崎駿が子供に見て欲しい、という事を言ってたじゃないですか。
これって、かなり押し付けによる事だと思うんですよね。
最初に話した、ピース助が過去に帰らない、のび太の恐竜の話なんですけど、これで、子供が観たいのはどっちなのか、と言えば割とピーすけと一緒になるのび太だと思うんですよね。
それって、やっぱり現実的な観点から見れば、出会いがあれば、別れがあって、現実的な問題で一緒には暮らしていけないという事で、ぴーすけは過去に還るんですけど、ただ、子供がやりたい事をやらせてあげたいと思ったら、やっぱり帰らないんですよ。
 だから、なんというか、宮崎駿が子供が一番望んでいるモノを作ってあげる、でも、それはエゴ的な形で、突き出しているような気がするんですね。
子供が何をしたいかと言ったら、好き勝手に遊ぶというか、欲しいものを全部買ってあげるみたいな、
色んなモノが、60を超えた事によって、何もかもしてあげるみたいな。遊んでもいいし、クレヨンで落書きしてもいい。






■ ニクロ

俺は、別に堕落したラストではないと思うんですけど。






■ ハイジン

堕落したわけではないですよ。
ただ、「これはしちゃダメだよ」という、そうゆう所も無視して、全部、何でもしていいよ、というような。






■ ニクロ

 でも、それは宗佑の成長という事じゃないですか、結局。成長というか、約束を守るという一点において。
だから、宗佑とポニョの関係はイーブンなわけなんですよ。
ピー助と、のび太の関係はハッキリ言ってイーブンではないですよ。
俺が言いたいのは、そうゆう事なんですけどね。
だから、のび太と恐竜に関しては、そもそも、ポニョもそうやけど、元は生物種が違うわけやんか。
しかも、過去、現在というタイムラグも含めて、やっぱり連れて行けないという所で。
でも、ポニョに関しては人間になっちゃったんですよ。理由は抜きにして。
で、かつ宗佑とは約束を結んで、で、リサも家族としてポニョを受け入れる準備は出来ている。
で、また擬似家族の形成という所にも含まれるんだけど、今回はそこは強く押し出してなくて、そこをあえて押し出さなくて、宗佑とポニョという対等の、人間同士の約束という所に置き換えた時に、今までやって来た擬似家族の形成というベースをちゃんと築く必要がない物語だったから、最後に戻ってきて、じゃあどうするんだ? って、疑問が沸くのはハッキリ言って当然なんですよ。
当然なんだけど、コレに関しては宗佑とポニョの純粋な約束の物語なんで、ある意味好き勝手やってるって言えば、好き勝手やってますよ、でも、アレはアレで俺は全然いいというか、そうするしかないかな、って気がするんですよ。
ラストでリサが「じゃあ、一緒に暮らしましょうね」って言って、三人がシルエットで帰って行くんだったら、確かにコレは宮崎アニメなんですね。






■ ハイジン

でも、まあ、割と宮崎駿のエゴ的な部分も含まれていないですか?






■ ニクロ

 エゴ的なというか、今回はエゴも含めて、何回も繰り返すけど、作品の生活という物語が物語なんだけど、物語していないという、変な所に包まれている気がするんですよ。
そうゆう所では、エゴすらもなんか、浄化されてしまうような。






■ ハイジン

宗佑の成長物語という側面では、あまりにも年齢が低すぎるから、そこに重点は置くべきではないという事は、解るんですけど、そこで、そのまま広げた風呂敷袋、開けっぴろげで終わるというのは、物語の完結というよりは。






■ ニクロ

 いや、これはね、開け広げというよりは、俺は宮崎駿の物語物語している作品でそれをやられたら、点数は低くなると思うんですよ。
ただ、ポニョに関しては、ポニョだけはそれが許されるんですよ。
ポニョって、例えば金曜ロードショーでやったりしたら、途中、30分から観てもいい映画なんですね。
最初から観なくても。本当に、全てが地続きで来ていて、で、何処で退場しても、何処で入場してもいいという作品なんですよ。そこにちゃんと実在している、という今までよりもかなりリアリティーに凝ってるんじゃないか、って所があるんですよ。
 確かに、フジモトなんておかしいし、ハウルを思わせるような、魔法使いってのはおかしいんだけど、アレに関しては外部からの侵入者であって、本当に大事なのは島の生活というベースがあるんですね。老人があれだけ居るという。
生活を描いている物語だからこそ、何処で終わってもいいわけなんですよ。ハッキリ言って。
もちろん、宗佑が走っていって、助けようとしている所で終わったら気持ち悪いけども、ただ、あれに全肯定の収拾が付く必要は、俺はそんなに思っていないんですよ。






■ ハイジン

俺は、やっぱり、宮崎駿が子供に何もかも買い与えている映画、そうゆう印象を強く思うんですけどね。






■ ニクロ

うーん、買い与えている・・・






■ ハイジン

実際に、母親達が相談で決断をして、みたいな描写があるじゃないですか。
実際に、宗佑にポニョを与える、みたいな。






■ ニクロ

いやあ、そうゆう事ではないんじゃないですか。






■ ハイジン

母親達が決めて、宗佑に与える、という構成になってるんですけど、これはそのまんま宮崎駿が、子供に対して、子供が欲しいものをあげるのではなくて、「お前、コレが欲しいんだろ?」って、いわば、一番突き抜けてる、誇張されたモノを与えてるような。






■ ニクロ

 でも、俺は、それが千と千尋の千尋に与えられるなら、ダメだと思うんですよ。
千尋は、言っちゃアレなんですけど、ダメな子供なんですね。
まあ、ダメな子供というか、今の子供なんですね。
そうゆうのに、与えるのはダメだと思うんですけど、ハッキリ言って宗佑は、あり得ないほどしっかりしているんですね。
本当に、クレヨンしんちゃんの真逆みたいな。
何で、宗佑があんなにしっかりしているかと言うと、常に父親が、ほとんど不在のような状態で、かつ不在ながらも連絡の取れる所に居て、周りにはお婆ちゃん達が居たり、リサも居たり、島という閉鎖された世界で、コミニケーション力に長けた環境にいるんですね。
コミニケーションが出来る場所に居るという。場所そのものの力強さによって、宗佑は支えられているんだ、という事によって、だから、宗佑に何を買い与えようが、宗佑はたぶん、あの若さでありながら取捨選択出来る強さは持っているんですね。
だから、俺はそれは全然、大丈夫だと思うんですけどね。






■ ハイジン

別に、俺はポニョという映画を否定しているわけではないんですよ。
それなりに好きな部分もあるし、また観たいな、とか思っていますけど、ただ、手放しで宮崎駿が媚過ぎているんじゃないのかなと。






■ ニクロ

何に媚過ぎて?






■ ハイジン

子供に対して。






■ ニクロ

いや、媚てるというよりは。






■ ハイジン

なんてゆうか、最後に引き離すという事は、「これはいいけど、これはダメ」というような、教訓に近いものがあると思うんですよ。






■ ニクロ

さっきも言ったように、宗佑は取捨選択が出来る子供であって、たぶん宮崎駿は今の子供にそうなって欲しいと思っているんですね。






■ ハイジン

でも、ある程度、そこは教訓として「これはあげるけど、これはダメだよ」というような事は、本来やるべきであった筈なんですよ。
ただ、全部あげてるわけじゃないですか。
それでいて、ちょっと押し付けがましく、「これが欲しいんだろ?」って、強引に渡してるんですね。






■ ニクロ

コレってのは、作品中で言うと、ポニョの事なんですか?






■ ハイジン

もちろん、ポニョの事ですよ。ポニョと出会い、最後までちゃんと一緒に居られるよ、という






■ ニクロ

でも、それって、ちょっとペット的な観点じゃないですか、あまりにも。






■ ハイジン

でも、俺は、ポニョを記号として見た時には、そうゆう風な見方は出来ると思うんですよ。
だから、そうゆう風な見方をしていけば、ちょっとエゴが炸裂しまったんじゃないのかな、というような、ココに来て。






■ ニクロ

 ポニョを孤児として見たらどうですか? 極端な話。
捨てられたか、何処からか逃げて来て、で、宗佑と関係を築いて、という環境において、そこで、それを取り返しに来る海の存在が仮に個人だとしても、宗佑と、孤児であるポニョの関係が築かれていれば、二人が一緒に居る終わり方は、全く違和感ないと思うんですけどね。
もちろん、そうゆう物語ではないんですけど、でも、そう置き換えるとスッと来ると思うんですけどね。
 だから、ペット的な見方をすると、そうなってしまうんですよ。
あの終わり方はちょっと、強引というか。与えすぎてる感じもするけど。
本当に、関係を築けた対等な人間同士という意味であれば、あのラストは凄くスッと来るんですけどね。






■ ハイジン

もちろん、俺は否定しているわけではないんですよ。
ただ、宮崎駿のエゴを全面的に感じとってしまって、違和感を覚えてしまったと。








ポニョが描く世界観








■ ニクロ

 この映画は観る映画ではなくて、感じる映画なので、あんまりストーリーはわからなくてもいいというか、なんならテレビで見る時は、音量ゼロでもいいんですよ、この映画は。
それでも面白いと思うんですよ。それで、筋は大方解ると思うし。
ぶっちゃけ、グランマンマーレのトコとか、あそこは解ろうが、解るまいがいいんですよ、別に。
そこを突き詰める人って、硬いというか、映画の隅から隅までわからないとイヤだ、という人だと思うんですけど。
本当に、アレに関しては試練じゃないですか。
まあ、ココは記号的なって言い方をしてもいいと思うんですけど。宗佑と、ポニョの試練というか。
暗闇のトンネルについては、「あれは何なんだ?」っ語る必要もなくて、ただ、そこで絵を見て解るしかないというか。
 だから、コレって語る作品ではないと思うんですよ、逆に。
肌で感じる作品と言うか。意味を追ってはいけない、みたいな所があると思って。
だから、批評向きではないと思うんですけど、これを好きだって人は、あまり言葉では言って欲しくないんですよね。
俺の周りにも好きだって人は居ると思うんですけど、恐らく好きならば同意見だと思うんですよ。
それに関してあまり好きな所も、嫌いな所もあげたくないというか。凄く難しい作品なんですね。






■ ハイジン

子供はそんなに好きなのかな、って気はしますね。凄く。
俺は、宮崎駿が子供の好きなモノを詰め込んだ気はするんですけど。






■ ニクロ

 本当に、ポニョが海の上を走るシーンとかの、ああゆう疾走感というか、見ていて気持ちいい感じとか、ポニョと宗佑が二人でラーメンを食べる暖かいシーンとか、そうゆうイメージ的な所を子供は凄く喜ぶと思うんですけど、逆にそういった所で、喜ばそうとしているんじゃないでしょうかね、この作品は。
あとの、味付けというか、二人の試練という所はある種、それを納得させる為の大人の為にあるような感じがしたりもするんですけどね。
 それで、この作品はスペクタルを完全に排除した作品なんですね。確かに、車のカーチェイスとか、波が来る所とかは、確かにそういった演出なんだけど。
だから、トトロとの共通点が凄いんですよね。
だから、なんていうか、みんなが関わっている。
主人公とヒロインと、あと内輪の何人かがどうこうするって話じゃなくて、本当に全員が関わってる話って、なかなか観れるものじゃないから、そういった意味でこの作品はかなり好きで、紅の豚の次に好きな作品ですね。






■ ハイジン

 ただ、トトロと比べてしまったら、トトロがいわゆる、ファンタジー、異世界との接触であり、それでいて異世界と共存したままのラストなんですけど、トトロの世界には色んな制約があって、それはまず、大人は知らないという、メイとサツキだけが見ている、二人にとっての母親代わり補填としてのトトロという風に解釈は出来るんですけど、ポニョの場合は、リサを含めた大人も知っていて、それでいて、現実と異世界が至近距離にあるんですね。
言ってしまえば、ポニョという異世界が、隣り合わせにあるような。






■ ニクロ

 だから、それはさっき俺が言ったのは、ポニョが来た事によって、大災害とか、津波がって所も、隣り合わせなんですよ。ああゆう事が。
起こりうる事、という意味では、全てが地続きでフジモトというのは、個として存在はしているんだけど、アレも案内役というか、物語に関与しているというよりは、そこに居るって感じのキャラクターって気がしたんですよね。
一番大事なのは、島そのものの存在と、そこを巻き込んで悪意のない自然の動きだと思うんですよ。
だから、あまりそこに関して異世界って感じはしなかったんですけどね。






■ ハイジン

完全に異世界に溶け込んではいますよ。ポニョが現実に。
現実に溶け込んでいて、それでいて違和感がないからこそ、俺としては隔離されるべきこそが、すんなり来るエンディングだと思ったんですよ。






■ ニクロ

でも、隔離させるべきってのは、のび太の恐竜で言う所の、ピー助は異世界じゃないですか。
ポニョってのは、隣り合わせというか、もしかしたらあるんじゃないだろうか、という所からふわっと現れた女の子なわけですよね。






■ ハイジン

いや、ふわっと現れたと言うけど、さっき言ってた孤児であればふわっとなんですけど、魚ですからね(笑)。






■ ニクロ

でも、もう人間じゃないですか。ココまで来たら。たぶん、もうポニョは魚に戻れないじゃないですか。
あの後は。ちゃんとその辺を宮崎駿は配置していて、人魚姫の物語ですよね、結局。






■ ハイジン

モチーフはそうですね。






■ ニクロ

ポニョは魚に戻らないって核心は俺はかなり強いんですよ。
だから、さっき言った孤児的なイメージとはちょっと違うかもしれないけど、人間という捉え方で全然、いいと思うんですけどね。






■ ハイジン

人間という捉え方は、俺はすんなりとは受け入れられないですね。






■ ニクロ

 あの後も、ポニョは凄い生活感が息づいているんで、あの後を結構、想像しちゃうんですよ。
ただ、想像してもあの後のポニョは魔法は使わないんですよね。使えないというか。
で、普通に一緒に幼稚園に通い始めて、ってそうゆう風な事を考え始めるんですよ。
で、ポニョに関しては何かのきっかけで魚に戻る事はないみたいな。
で、俺の中の想像は幼稚園の中で止まるんですね。
小学生になる手前とかではなくて。ポニョってのはそこまでの物語だと思うんですよ。
子供の時の関係というか、約束という意味では。
そこから、二人が小学生になって、中学生になって、高校生になって、恋してって、そこまではいかないんですよ。
幼稚園までは容易に想像が出来るんですよ。






■ ハイジン

いや、でも、アレは完全にブッタ斬りですよね。
俺は、幼稚園までを想像させるのであれば、割と余韻を残して終わらせる必要が。






■ ニクロ

いや、別に想像させる物語ではなくて、俺が勝手に想像しているというか。






■ ハイジン

俺は、完全にぶった切って終わった形に思えてしまうんですよね。
根付いてという部分までは、達して無いような。






■ ニクロ

それは、力足らずな、って事ですか?






■ ハイジン

いや、だから、三人が家に帰って行く所で終わるのなら、地続きで今後という事も、想像に足りうるんですけど、最後に二人が抱き合って終わるってのは、あの部分で完結してしまった感があるんですね。
ポニョが来て終わり、という。それ以降に関しては






■ ニクロ

それ以降というか、俺が言いたかったのは、ポニョが今後、人間としての捉えていいのか、それとも魚のアレなのか、って事で俺はその後、って事を例えたんですけどね。
つまり、あの時点でポニョは魚に戻らずに人間のままなんだろう、ってそこまで含ませる俺の宮崎駿の信用というか。






■ ハイジン

俺は、魚とか人間以前に、ポニョは帰って来たんだ、完、というような。
それだけの、1から5までの物語で1から5で終わったような感じなんですね。






■ ニクロ

それは、さっきハイジンの言った付け足したラストの方が、まだ納得がいくって事ですか?






■ ハイジン

いや、まあ、これは納得、納得じゃないというよりは、単に不思議な違和感を感じた、というだけで。
だから、別にアレはアレでいいんですよ。






■ ニクロ

 違和感というか、やっぱりコレは、ポニョを好きになれるか、なれないかのアレだと思うんですけど。
だから、俺は本当に途中で席を出ても良かったんですよ。
まあ、お金がもったいないから居たいんだけど、でも、途中で席を出ても俺は満足感を持ってポニョに関しては出れるんですね。
 で、気になるとか、気にならないとかじゃなくて、もう、そこにある世界をずっと体で受け取ってるから、目で受け取ってるから、その先の結末を知らなくてもいいような心地よさがあるんですよポニョは。
たぶん、ポニョが好きな人は、大概そうゆう事だと思うんですけどね。






■ ハイジン

それは、なんとなく紅の豚に通ずるモノがありますね。






■ ニクロ

そうですね。紅の豚も男のバカな所のシンパシーを受けたら、ぶっちゃけラストの殴り合いまでいかなくてもいいような所はあるんで。






■ ハイジン

そこにシンパシーを受けなければ、もう、紅の豚に関しては受け入れる受け皿がもうないみたいな。






■ ニクロ

それに近いんじゃないですか。






■ ハイジン

突き詰めれば、宮崎駿の人間性を受け入れられるか、受け入れられないか、という話までいくわけですね。






■ ニクロ

そうゆう事になるでしょうね。






■ ハイジン

解りました。そこまで行けば、議論と言うよりは、そういった個人を受け止められるかという話にまでいってしまうので、ポニョはココまでにしましょう。








宮崎映画をどう捉えるか








■ ハイジン

一応、全10作品をやったわけなんですけど、どうですか? 簡単な総括を。
一応、6時間近く話した事になるわけですけど。






■ ニクロ

 ああ、疲れた感じは全然、しないんですね本当に。
なんか、記憶の中に根付いてるな、っていうのがあって。
喋ってると、思い出すし、喋りながら自分が解っていく、って感覚があるんで。
やっぱり、宮崎駿の作品というのは、本当に日本国民全員の思い出装置って言い方は、ココまで来るとしたくはないんですけど、ある種のそうゆうモノは確かにあるんだろうな、って気はして。
それは一つの権力というか、パワーですよね。






■ ハイジン

でも、思い出装置ってのは途中で明らかに、脱却を試みて成功をしていますよね。間違いなく。






■ ニクロ

 それは、作品一本における成功なのか、今後も約束された成功なのか、どっちなのかって感じですよね。
今後はたぶん、同じようなモノ、同じようなという言い方も変だけれど、一から十まで一番好かれていた頃の宮崎駿のやり方に戻らなければ、どんどん評価は落ちていく、評価が落ちるというか、みんながついていけなくなる一方という気はしますけどね。






■ ハイジン

でも、思い出装置としての宮崎駿を見ている人達にとっては、ハウルとか千と千尋とかは、やっぱり(俺達の好きな宮崎映画は)こんなんじゃない!
というような評価が目立つので、そういった意味では、宮崎駿はそういった人たちからの期待を裏切る形で、邁進していくという意味では、常に挑戦をして、それでいて勝ち続けているのではないかと思うんですけどね。






■ ニクロ

 勝ち続けてる・・・うーん、やっぱり宮崎駿にとっての勝ちっていうのは、自分がやりたい事をやれるか、っていう本当に作家として一番当たり前の所なんですよね。
そこを、ちゃんと興行に繋げてるのは、プロデューサーなり、他のスタッフの腕なんだろうけど、そこが本当は一番大事なんですよね。
 だから、たけしにも近い所はあるんですけど、たけしは売れない方だけど、売れてないなりにも、このままじゃいけない、という事を常に考えてる人で、やっぱり、これだけ売れながらも、そうゆう事を考えられるってのは、本当に凄いなと思うんですよね。
たけしの場合は、売れてないから、どっちに飛んでも責任はないわけじゃないですか。変な話。
ぶっちゃけ、次に西部劇を撮ろうが、何をしようが、元々売れてないんだから、売れる所を目指さなくても、好きな事をやったらいいだろう、なんだけど宮崎駿の場合は、売れる事のやり方を解ってる上で、そこをあえて避け続けるってのは、やっぱりちょっと凄いんですよね。
売れてる人がやる事ではないですよ、本当は。






■ ハイジン

でも、売れてる事を避けるやり方を推しつつも、更に売れる、みたいな。
凄いメカニズムになっているんですよね。






■ ニクロ

 そこは、タイミングの問題だったんじゃないかと思うんですよ。
もののけ姫の成功というのは、ある意味で、計画的な、戦略的な意図があるじゃないですか。
今、もののけ姫を出したとしても、あそこまで売れるわけではなかったと思うんですよね。
97年という時代に何か裏があるわけではないですけど、何か凄くそうゆう感じはするんですよね。






■ ハイジン

なるほど。それでは、最後に宮崎駿の今後というか、何か希望とかはありますか?






■ ニクロ

一個あるのが、もののけ姫の森のシーンだけを淡々とやるような映画を見たいな、とは思いますね。






■ ハイジン

森のシーン?






■ ニクロ

 ようするに、見て感じるしかないシーンというか、たぶん、淀川さんが言ってた「美術館から出てきたような顔をしている」って言葉の、たぶん、一番大きい所を背負ってるのが、たぶん、木霊だったり、湖の水面とか、ああいう事だと思うんですよ。
ああいうのに対して、言葉で言うだけ無駄、っていうか、言えば言うほどあの絵に負けていくような、なかなか絵が綺麗ってだけの記号じゃ、取れないモノがあるんですね。
音も凄いんですよ、あそこは。音響というものが、聞こえるか、聞こえないかの所で流れてたりするんですよね。
でも、そこは聞こえなくてもいいんですよ。こうゆう事を、アニメの映画でされているって事が、本当に芸術の域だな、と俺は思ったんですね。
 ただ、芸術って言葉も、市民権を得た言葉なんでイヤなんですけど、自然のアニメというものを唯一、今のアニメ業界で作れるスタジオジブリだと思うんで、下手な見方をしたら、環境ビデオになっちゃうかもしれないんだけど、ただ、見て感じるような映画を俺は結構観たかったりするんですよね。
物語物語って事から脱却しようとしているんだったら、逆に一個振り切って、そうゆう所もやっちゃっていいような気はするんですよ。
ジブリだったら、何百スクリーンでやるんだけど、十何スクリーンとか、何十スクリーンとか、まあ、有り得ないですけど、宮崎駿がやると言えば。
でも、それくらの規模でやるような気持ちでもいいんで。なんなら、セリフがなくてもいいんですよ、2時間。
それくらいのものをね、俺は。たぶん、ジブリだったら観れるんじゃないかって、気はするんですけどね。
森のシーンに関しては、本当に感覚なんですよね。単に技術があるだけでは、絶対に作れなくて。
技術も勿論、伴わなければならないんだけど、技術と感覚が、同居しているスタッフが作っている映画は、スタジオジブリしか無くて、そこは要望したいというか、渇望したい所なんですよ。
だから、ココまで来たら説明しない映画ってのも、一本あってもいいかな、という意味で。






 ハイジン

まあ、ハウルは説明しなかったという意味では。






■ ニクロ

でも、記号ですからね、ハウルは。ある種の。
記号的に配置するって事も抜きにして、どうゆうモノかはわからないけど、排他的な映画ならではの、画面の呼吸によって見せて貰えるような作品を観たいなとは思うんですけどね。
ハイジンは?






■ ハイジン

 俺は、話していく中で気づいたのが初期の作品よりも後半の作品、千と千尋ハウル、ポニョの方が好きなんですよ。気持ちの割合としては。
ラピュタとか、トトロなんかも好きなのは好きなんですけど、あの作品達ってのは、大きな好き嫌いはない作品だと思うんですよ。
大好き、大嫌いというのが、あまりないような。好き、嫌いのふり幅が小さい作品だと思うので、ただ、後半の3作はふり幅が大きいように感じて。
まあ、宮崎アニメなんで、他の一般作に比べたらそれでも小さいんですけど、それでも大きめに振られてると思うので、そうゆう意味では、もっとふり幅の大きい作品なんかを観てみたいな、とは思いますね。
宮崎駿の作家性が更に強く出た作品を。






■ ニクロ

もっと、突き放して、というか、我が道を行って。






■ ハイジン

そうですね。そうゆう作品を、観たいとは思いますね。それでは、時間も時間なので、これくらいで。






■ ニクロ

はい、ありがとうございました。






■ ハイジン

ありがとうございました。



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